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平塚選手紹介

松坂 洋平(マツザカ ヨウヘイ)
級班 | S級1班 | 生年月日 | 1982/08/27(42歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2024/07/01 |
身長 | 173.0cm | 体重 | 88.0kg |
胸囲 | 108.0cm | 太股 | 63.0cm |
背筋力 | 136.0kg | 肺活量 | 5900cc |
脚質 | 両 | 今期得点 | 103.50 |
松坂 洋平 選手 インタビュー!
さくら:競輪選手をめざしたきっかけを教えてください。
松坂選手:小学校の頃からロードレーサーに乗らされていたんですよ。おじいちゃんのお兄さんが競輪選手だったので、おじいちゃんがやらせたがって…。
さくら:その感じだと、当時はあまり楽しくなかったですか?
松坂選手:つまんなかったですね。当時サッカーもやっていたんですけど、そっちの方が楽しかったですね。
さくら:そこから選手を目指していったのはなぜですか。
松坂選手:そのままロードを続けていて、そうしたら中学後半から成績が上がっていったんです。それで高校でも自転車競技部に入って、卒業してから選手を目指しました。
さくら:自転車経験者ということは試験もスムーズにいきましたか?
松坂選手:いや大変でしたよ。まずピストに乗る所からスタートですからね。ロードの頃はどっちかというとガリガリだったので身体も変えなきゃいけなかったですからね。体格変わったねって周りから言われましたよ(笑)
さくら:同じ自転車に乗る種目でも全然違うんですね。
松坂選手:でもやっぱり自転車に乗るのが楽しかったから頑張れましたね。
さくら:デビューから15年はあっという間でしたか?
松坂選手:あっという間でしたね。
さくら:一番印象に残っていることはなんですか?
松坂選手:やっぱり記念を2連続で獲ったことですかね。1回目(2011年5月別府記念)優勝した時は「あ~優勝しちゃった」って感じで実感がなかったんですけど、2回目は地元(2011年5月平塚記念)で「優勝するぞ」と獲りに行って獲れたのですごく嬉しかったですね。
さくら:逆にしんどかったことや辛かったことはありますか?
松坂選手:しんどかった…うーん、まあ怪我をしたときはトータルで1年分くらい欠場してしまったので大変でしたね。
さくら:大きな落車もありましたよね。
松坂選手:そうですね、前歯もなくなって、腕も同じところ2回も折っちゃって…(大きな傷痕を見せていただきました)。でも大変だったけどまた早く自転車乗りたいって思えたし、ロードでも昔から転んだりしてたので恐怖とかもなかったです。選手の宿命というか、みんな通る道っていうか…。
さくら:そうだったんですね。
(ここで柴田健選手が登場)
柴田選手:洋平はね、最後の昭和の競輪選手って感じだよ!豪快で気持ちで走るタイプだからね。
さくら:そうなんですか?
松坂選手:まあそうかもしれないですね(笑)。競走のときはスイッチ入れて走って、競走終わりには一緒に斡旋されてた人たちと豪快に飲んで、そうでもしないとオンオフの切り替えがうまくできないしね。普段はお酒全く飲まないし、趣味もないから。
さくら:お休みの日は何していますか?
松坂選手:寝てるか、ちょっとローラー乗ったり、自転車いじってセッティングしたりしてるかな?
さくら:それってお休みになってるんですか(笑)
松坂選手:もう仕事も趣味も自転車一筋って感じですね(笑)。やっぱり自転車が好きなんだと思う。
さくら:いくつまで選手を続けたいですか?
松坂選手:できる限り続けたい。今弟も選手を目指しているからS級だったら一緒に走れるかもしれないから、長くS級で、優勝を1つでも多く重ねて、そしてS級で早く弟と一緒に走りたいよ。
平塚のムードメーカー的存在の松坂選手。でもお話してみると穏やかで自転車にひたむきに向き合う一面を知ることができました。どんな時でも気持ちを入れて走る「ザ・競輪選手」。弟さんの存在が兄として、先輩競輪選手としてさらに松坂選手にスイッチをいれてくれそうです!そんな松坂選手をぜひ金網で応援してください!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2009/02/18 武雄競輪
200勝 2013/09/06 四日市競輪
300勝 2018/09/27 平塚競輪
佐藤 龍二(サトウ リユウジ)
級班 | S級1班 | 生年月日 | 1988/06/25(36歳) |
---|---|---|---|
血液型 | B型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 181.0cm | 体重 | 100.0kg |
胸囲 | 97.0cm | 太股 | 60.0cm |
背筋力 | 183.0kg | 肺活量 | 5560cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 98.95 |
佐藤 龍二 選手 インタビュー!
さくら:地面に毛布しかないんですね。
佐藤選手:おれ地面に座るのあんまりすきじゃないんですよ。なんか腰が変になるっていうか…。だから開催中も椅子のあるところに行って座ったりしてますよ。
さくら:このタイヤは普段のタイヤとちょっとちがうものですよね。
佐藤選手:これはロードレース用のタイヤです。これの方が競走用のタイヤより重くて、最近はこれで練習してますね。
さくら:重いタイヤで練習して競走のタイヤに替えて走ると軽く感じられるものですか?
佐藤選手:そうですね。フレームは競走用のものにしてるからやっぱり違いますね。今は落車が続いたりしてるので、調子を戻すためにできるだけ競走に近い状態で練習してます。
さくら:佐藤選手っていろいろなジャンルに詳しい印象ですが、競輪に関することもやっぱり色々調べたり試したりしてるんですか?
佐藤選手:だって楽したいじゃないですか!(笑)ただがむしゃらに練習しても強くはなれないですし、がむしゃらにやって100強くなるより、効率よくやって半分の時間で100強くなる方が良くないですか?そうすれば同じ時間で200強くなれるんですよ!選手は頑張っただけでは評価されないですからね。
さくら:確かにそうですよね。そういう情報はどこから仕入れてくるんですか?
佐藤選手:多いのはロードの人からかもしれないけど、特にこだわらず常にアンテナは高くたもってます。他のスポーツからでも自転車につながりそうなことはありますからね。だからまず、いろんなことに興味を持って誰とでも仲良くなれるようにしてるよ(笑)
さくら:だから何でもに詳しいんですね。
佐藤選手:そう!ちょっとかじっただけじゃ会話は弾まないでしょ?だから何事もちょっと掘り下げてみることにしてます。例えばAKBで神7知ってるだけじゃなくて選抜全員知ってますみたいな感じでさ。まあAKBはあんまり詳しくないけど(笑)
さくら:佐藤選手といえば1着とった時のガッツポーズ、最近はジョジョ立ちもありますが、始めたきっかけってありますか?
佐藤選手:僕は子どもの頃から親に連れられて競輪場によく来ていたんですよ。その時に勝った選手がこっちを向いてガッツポーズをしてくれたのを見てすごく興奮したのを覚えてます。だから自分もガッツポーズして応援してくれたお客さんを少しでも喜ばせたいなと思って。ジョジョ立ちは最近やってますが、人気の漫画なのでSNSで検索されたときに競輪知らない人にも引っかかるかなって。あんまりうまくないから炎上するかもしれないけど、それでも一人でも多くの人の眼にとまればいいなって思ってやってます。
さくら:やっぱり厳しい意見もきますか?
佐藤選手:それは内外関係なくありますね。同じレース走ってる選手からしたら自分が負けたときに派手なパフォーマンスされたらむかつくこともあるだろうし。でも良くも悪くも他の選手に意識されるっていうのはいいことだと思ってます。レース後ガッツポーズしてお客さんから盛大にヤジ飛ばされたこともありますよ。でもそういう時は倍の愛で返すようにしてます(笑)ヤジってたお客さんに投げキスしたら、翌日のレースでは逆に応援してくれるようになったこともありますよ。
さくら:見てる人の目に留まる選手になるって大事なことですよね。
佐藤選手:そう思ってやってます。いろんなことやることによって「お、佐藤龍二走ってるじゃん。とりあえず買ってみるか」って100円でも多くお客さんが投票してくれるといいなって。
さくら:小さい頃から競輪を見てきた佐藤選手だからこその考えですよね。その頃見てた選手と選手になって一緒に走ってるってどんな気持ちですか。
佐藤選手:初めてS級で決勝乗ったのが多分西武園だったと思うですけど、その時の後ろが千葉の海老根選手と鈴木誠選手だったんですよ。俺が小学校の頃からグランプリで走ってた選手の前を走るってことでめちゃめちゃ緊張しましたし、燃えましたね!当時からすでに自在だったんですけど、ジャン前からブン駆けしたのを覚えてます。
さくら:選手になって10年、競輪に出会ってからは30年近いわけですが、思っていたように走れてますか?
佐藤選手:デビュー前はまずS級あがってとりあえず早くGⅠ乗ってグランプリって思っていたけど、S級上ってみると意外とGⅠって遠くねぇ?!って思ったりしました。でも気持ちは変わらないし、それまでの過程をきちんと踏んでいくことが大事だと思ってます。
さくら:その過程の中で大事にしていることってあるんですか?
佐藤選手:やっぱり日々のレースの走りですよね。自力の時も番手を回る時もラインで走るからにはラインを大事にしたいと思って走ってます。前の選手が行ってくれたら、番手で捲りをしっかり止めて前を残すこと。そのうえで今ここから踏んだらこいつ5着以下になっちゃうなとか、でもこれ以上待つと…とかそういうことを番手の時は常に考えてますね。追い込むタイミングとか不発から切り替えるタイミングとかレース後に周りの選手から早いって言われることもあるし、遅いって言われることもあるから難しいところだけど、俺はいつもラインから勝者をって思って走っているよ。これがGⅠになるとまた全然違うからそれも難しいところだけどね。
さくら:いつか佐藤選手のグランプリを見て選手を目指す子がでてくるかもしれませんね。
佐藤選手:そう思ってくれる子がいるといいね!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2011/10/28 大宮競輪
200勝 2017/01/16 伊東温泉競輪
和田 真久留(ワダ マクル)
級班 | S級1班 | 生年月日 | 1991/03/02(34歳) |
---|---|---|---|
血液型 | B型 | 級班所属日 | 2015/01/01 |
身長 | 172.0cm | 体重 | 69.7kg |
胸囲 | 93.2cm | 太股 | 57.0cm |
背筋力 | 205.0kg | 肺活量 | 4600cc |
脚質 | 両 | 今期得点 | 113.57 |
和田 真久留 選手 インタビュー!
さくら:競輪選手を目指したきっかけを教えてください。
和田選手:中学の時にアテネオリンピックの自転車競技を見てかっこいいと思ったのがきっかけです。祖父も競輪が好きでしたし、そんな流れで。自転車に乗り始めて楽しくて好きになって、こうやって好きなことを仕事にしてお金をもらえるっていうのは良いことだと思っています。
さくら:競輪選手として自転車に乗るとなった時に気持ちの変化はありましたか?
和田選手:そうですね、やっぱりデビューしてからは苦しいと感じる時もありました。競輪はギャンブルで僕らは賭けの対象であるわけですから、ただ楽しいと思って乗っていたときとは変わったかもしれません。
さくら:19歳で選手デビュー、いきなり大人の世界で先輩もたくさんいて大変ではなかったですか?
和田選手:今思うとだいぶ世間知らずでしたね(笑)
さくら:怒られたりもしたんですか?
和田選手:怒られたことはなかったです。まあ僕が勝手に怒られたと思ってないだけかもしれませんけど(笑)
(ここで柴田健選手が登場し和田選手がデビュー当時からいい子だったと証言してくれました)
さくら:デビューして今日まではあっという間でしたか?
和田選手:あっという間でしたね。どうしたらもっと速く走れるんだろうって考えているうちに過ぎました。自転車は道具を使う競技だから身体だけ鍛えてもだめだし、セッティングだけでもだめだし、そんなことをデビューしてからずっと考えています。
さくら:答えは見つかりそうですか?
和田選手:見つからないですね。きっとずっと見つからないと思います。だから満足することもないし、満足できないからこうやって続けているんだと思います。
さくら:本当に自転車に一直線ですね。お休みの日や息抜きは何をしていますか?
和田選手:僕は器用なタイプではないので、練習と遊びのライフゲージが一緒なんですよ。だから遊びに出かけることもなくてほとんど家でYouTubeを見たりマンガを読んだりして過ごしてます。本当にインドアですよ。
さくら:飲みに行ったりしないんですか?
和田選手:お酒は飲みますけど、そんなに頻繁に飲み歩いたりはしないです。飲み会も行かないですね。(ボソッと)だから出会いもなくて…。
さくら:(笑)理想のタイプは?
和田選手:特にないんですよ。あ、でも料理を作ってもらえると嬉しいですね。なかなか自炊できなくて外食が多いので。
さくら:彼女募集中って書いときますね(笑)いくつまで競輪選手を続けたいなど考えたことはありますか?
和田選手:考えたことないです。8年経っても先輩に教えてもらうことの方が多くて、まだ今を生きるのに必死ですね。
さくら:これからは和田選手も徐々に教えていく立場になっていきますね。
和田選手:残念ながら僕より若手が少ないので、僕が経験してきたことなどを伝える相手が今ほとんどいないです。選手の厚みは地区の強さになっていくと思うから、平塚の選手がもっと増えていくといいんですけど。
さくら:生まれ変わっても競輪選手になりますか?
和田選手:それはどうでしょう、だってジョニーデップに生まれ変わってるかもしれないでしょ(笑)。…でもならないと思います。きっと後悔することがあったらもう1回って思うかもしれないけど、そんな風に思うことがないくらい今の僕で悔いなくやりきる気持ちです。
ただひたすらに自転車が好きだった少年が、競輪選手になったということ。ここまで色々な葛藤や悩みもあったのだと思います。でもいつか和田選手の走りに感動して競輪選手を目指す少年が現れるのではないかなと、そんな日を楽しみにもしたくなります。
ひたむきに自転車に向き合う和田選手を、ぜひ競輪場で応援しましょう!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2014/09/04 立川競輪
嶋津 拓弥(シマヅ タクヤ)
級班 | S級1班 | 生年月日 | 1986/03/19(39歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2023/07/01 |
身長 | 175.0cm | 体重 | 79.0kg |
胸囲 | 96.0cm | 太股 | 60.0cm |
背筋力 | 183.0kg | 肺活量 | 6550cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 105.62 |
嶋津 拓弥 選手 インタビュー!
さくら:嶋津選手は選手になる前はトライアスロンをされていたんですよね。
嶋津選手:そうですね、大学と湘南ベルマーレのチームに入っていました。
さくら:そこから競輪に転向したきっかけはなんでしたか?
嶋津選手:トライアスロンだけで食べていくってけっこう厳しくて、周りにいたプロの人も他に仕事をしながら大会に出ていたんですよね。僕はスポーツで食べていきたいという気持ちがあったので、それならトライアスロンをやり切って納得したら競輪を目指そうかなと考えてたのがきっかけです。そう思っていたんですけど、途中から「競輪を目指すなら早い方がいいんじゃないか」って気持ちも芽生えてきて…。年齢的にも23歳以下のクラスからエリートって1つ上のクラスに上がるタイミングだったので、そこで競輪に転向しました。だからトライアスロンをやりきれたかというと、正直やりきったとは言えないです。
さくら:選手を目指してからはどうでしたか?
嶋津選手:ん~、やればやっただけ結果が出た感じはなくて苦戦しました。思っていたよりトントンとはいかなかったですね。トライアスロンをやっていたので持久力はあるんですけど、短い距離で力を出し切るっていうのがなかなかできなくて。競輪学校の受験も年1回になってしまっていて、3回目でやっと受かりました。
さくら:学校に入ってからはどうでしたか?103期在校1位でしたね。
嶋津選手:そうですね、でも当時の学校の訓練はとにかく乗り込めって感じで、朝から1日中自転車乗っているから、ダッシュ系の人はしんどかったと思います。持久力のあった僕に学校の訓練が合っていたんだと思います。
さくら:デビュー戦の小田原、覚えていますか?
嶋津選手:あー、覚えてます、覚えてます。ヤジがすごかったです。初日は3着だったんですけど緊張してガチガチで何もできませんでした。当たり前かもしれませんが、学校と実戦は違って、戸惑いもありました。
さくら:在校1位となればなおさら、思うようには走らせてもらえないですもんね。デビューして6年になりますが後輩も出てきて、心情の変化などはありましたか?
嶋津選手:後輩強すぎますよね(笑)。でもそんなに変わらないですね。今も挑戦者の気持ちで走っています。
さくら:いくつまで自力で走りたいなど考えたりしますか?
嶋津選手:競走スタイルにこだわりはないです。でもまだ自力で納得いく結果は出せていないので、まずは自力で結果を出したいですね。
さくら:ずっとスポーツを続けてらっしゃいますが、モチベーションの維持はどうやってしているんですか?
嶋津選手:うーん、やっぱり優勝できたりすると嬉しいですけど、でも12歳くらいからずっと毎日練習するのが当たり前の生活なので、全然苦じゃないですね。
さくら:お休みの日は何をしていますか?
嶋津選手:休みは…体のケアしたり、ちょっと散歩に出かけたり…あんまり休んでないですね(笑)。
さくら:お休みもアクティブですね(笑)
嶋津選手:体動かしたり、外に出るのが好きなんですよね。
さくら:最後に、どれくらい選手を続けたいと考えたりしますか?
嶋津選手:やっぱりできるだけ長く続けたいですね。クラス関係なくですけど、やっぱり一つでも上のクラスで戦っていたいです。そのためにも今は更に上のクラスを目指して頑張ります!
人生の半分以上をスポーツ選手として生きてきている嶋津選手。アスリートとして、物事を冷静に考えて話してくださる姿が印象的でした。競輪選手としての人生は始まったばかりですが、子どもの頃から培ってきた経験を活かしてどんな選手になっていくのか、楽しみですね。ぜひ応援してください!
(インタビュー日2019年6月6日)
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2018/07/28 静岡競輪
菅原 大也(スガハラ ダイヤ)
級班 | S級1班 | 生年月日 | 1991/04/25(33歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 169.6cm | 体重 | 82.8kg |
胸囲 | 105.5cm | 太股 | 66.5cm |
背筋力 | 270.0kg | 肺活量 | 5560cc |
脚質 | 両 | 今期得点 | 101.00 |
菅原 大也選手 インタビュー!
さくら:選手を目指したきっかけを教えてください。
菅原選手:高校生までずっと陸上の投てきをやってたんですけど、その先生が眞原選手(69期眞原健一選手)の先生だったんですよ。県大会がたまたま平塚であって、そこにたまたま眞原選手が来ていて、「あの脚の太い人は誰だろう」と思ってたら先生を通して競輪選手って知って、それで初めて競輪というものを知りました。
さくら:すごい偶然ですね!その出会いがきっかけで競輪選手を目指したんですか?
菅原選手:ただその時は陸上をやりきりたかったので、本当に考え始めたのは陸上が終わって10月くらいですかね。進路を考えた時に、陸上を続けていくには身長が足りないし、進学の道もあるけど、体を動かすことが好きだし、そこで競輪選手という選択肢を考え始めました。ただ当時体重が98kgくらいあったので、自転車乗るならちょっと身体絞った方がいいかなと思って、2月くらいまでに20kg落として、78kgくらいになった時に、ようやく挨拶しにきましたね(笑)
さくら:それまで自転車の経験はなかったわけですが、実際選手を目指しての練習はどうでしたか?
菅原選手:甘くなかったですね。受験前に毎回怪我をしてしまったこともあって、3回落ちました。陸上で全国大会も行ったし、少し自信があったんですけど、いきなり壁にぶち当たりましたね。4回目でやっと合格したんですけど、競輪学校もしんどかったですね。
さくら:デビューしてからはどうでしたか?
菅原選手:チャレンジは特進もできて、わりとトントンと上れたのでよかったなと思ったんですけど、A級に上がって9車立てになったら一気に難しくなりました。僕はダッシュがないので前を叩けなかったり、当たり前ですけど、行きたいところで先行させてもらえないし、怪我を繰り返してしまったりもして…。
さくら:2度目の壁って感じですか?
菅原選手:そうですね。正直言うと、高校時代も言われた練習を言われるままにやって強くなっていったし、チャレンジの頃もがむしゃらに練習すれば強くなれると思っていました。でも今は上を目指すにはそれじゃダメだって気づいて…。でも実際何をすればいいか自分ですぐには考えられなかったので、ちょっと前から色んな強い選手にトレーニング方法なんかを聞いて、自分に合うか試しています。
さくら:それは地区問わずですか?
菅原選手:そうです。開催中にお風呂やサウナで一緒になったら「神奈川の菅原大也です」って挨拶して、どんな練習しているかなんかを聞いています。そうやって教えてもらったことが最近自分の中に落とし込めてきている感じがして、練習もますます楽しくなってきてます。
さくら:菅原選手とお話しているとすごくポジティブな空気を感じます。何度となく壁にあたることがあったわけですが、そこでもそのポジティブさが活きたのでしょうか?
菅原選手:うーん、でも周りのおかげかもしれません。心が折れそうになった時、結婚して家庭ができたこと、最近は娘が生まれたことが僕を奮い立たせてくれていますね。アマチュア時代から支えてくれた奥さんを大切にしたいし、子供ができて守るべき存在が増えたことでまた変わりましたね。
さくら:素敵です!
菅原選手:娘が二十歳になるまでまずは頑張るって決めたので、まだまだ上を目指して頑張っていかなきゃですよね。
さくら:娘さんに強いパパを見てほしいですもんね。
菅原選手:パパかっこいいって言われたいですね(笑)
運命的に競輪に出会った菅原選手ですが、勝負の世界はやはり甘くはありません。何度となく挫けそうになりながらも、前向きに上を目指す姿に応援したい気持ちが溢れました。そしてその裏には家族を思うやさしいイクメンパパの一面が。守るべき存在が増えますますパワーアップしていくであろう菅原選手をぜひ応援しましょう。
インタビュアー:木三原さくら
松井 宏佑(マツイ コウユウ)
級班 | S級1班 | 生年月日 | 1992/09/24(32歳) |
---|---|---|---|
血液型 | B型 | 級班所属日 | 2020/01/01 |
身長 | 166.0cm | 体重 | 78.0kg |
胸囲 | 100.0cm | 太股 | 68.0cm |
背筋力 | 186.0kg | 肺活量 | 5260cc |
脚質 | 逃 | 今期得点 | 111.94 |
北井 佑季(キタイ ユウキ)
級班 | S級1班 | 生年月日 | 1990/01/27(35歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2025/02/28 |
身長 | 169.0cm | 体重 | 78.0kg |
胸囲 | 101.0cm | 太股 | 62.0cm |
背筋力 | 160.0kg | 肺活量 | - |
脚質 | 逃 | 今期得点 | 107.00 |
北井 佑季 選手 インタビュー!
吉田:北井選手お願いします。まず選手を目指したきっかけを教えてもらえますか。
北井選手:きっかけは元々サッカー選手で、サッカーを長く現役でやるの難しいという所から、また何か自分の体を使って稼げるのも良いなと思って、競輪だったらチャンスがあるんじゃないかと思ったのが一番最初のきっかけです。
吉田:その競輪を見つけたっていうのはどういう感じでなったんですか?
北井選手:小菅誠さんの妹が僕と幼なじみだったんです。なんでお兄さんが競輪選手だという事は知っていて、小菅さんにお話させてもらって、競輪はどんな感じですかって聞いたのが、競輪選手と一番最初に繋がった感じです。
吉田:競輪選手を目指すにあたって、何か苦労したこととかってありますか。
北井選手:やっぱり、自転車経験が本当に全く無かったので、最初はクリップバンドを着ける所から自転車に乗れるっていう風になるまでが苦労しました。
吉田:でも、養成所の試験は1回で受かりましたよね?
北井選手:はい、一回で受かりました。
吉田:やはり、自転車スキルの対応が出来ていたのではないでしょうか?
北井選手:自分の中で試験を1回しか受けないって決めていました。結婚をしていて子供も居たので1回しか受けないという風に決めてたから、それに向けて真剣に出来たのかなと思うのと本当にその1回しか受けないっていう気持ちを分ってくれて師匠の高木隆弘さんが朝から晩まで付きっきりで指導をしてくれたので、それが無かったら受かってなかったと思います。
吉田:日本競輪選手養成所の1年の生活はどうでした?
北井選手:1年間の生活は養成所で基本を学ぶっていう事もしつつ、もう自分の中では本当にデビューしてからしっかり勝っていける選手になるっていうの目標に過ごしていました。
吉田:日本競輪選手養成所の校則が厳しかったでしたか?
北井選手:僕の場合は師匠の方が厳しいかったので、それに比べると全然楽って言ったらあれですけど、そんなに縛りとかも無かったですし楽だったかもしれません(笑)。
吉田:そうなんですね(笑)1年間、日本競輪選手養成所で生活をして、ようやくデビューになってデビュー戦とかの記憶とかってありますか。
北井選手:僕の期にはルーキーシリーズがあって、そこで全然勝てなかったイメージがあります。ほぼ、全員が単騎みたいな感じなんで競輪学校の競走訓練の延長線上みたいな競走でその後の本デビューだったチャレンジ戦からは、とんとん拍子で特進が出来たという訳でも無いですがそれなりに先行に拘っての中で勝っていけたのかなと思います。
吉田:デビューをして、既にG1に出場していますが今後の目標とかってありますか?
北井選手:今年からG1を走っていて、準決勝まで行けているので、決勝までは行きたいなと思ってます。そして、いつかはタイトルを取りたいと思っています。
吉田:タイトルは自力で獲りたいという思いは大きいですか?
北井選手:そうですね。自力でタイトルを取りたいと言う思いが大きいです。
吉田:その目標に向かって、今日とかもすごい練習やっていますが、休みの日はどう過ごしていますか?
北井選手:師匠に言われて休みはないんです(笑)
吉田:えっ、そうなんですか⁉︎じゃあ逆に、競走の方が休めますか?
北井選手:そうですね。競走中の方が体が休めますね。何といっても1日1回、出し切れれば良いので(笑)日に日に疲れが抜けていく感じですね。
吉田:いろんな人にインタビューをした中で、休みがないって言うコメントをいただいたのは初めてだったのですが、そんな話を聞いたら北井選手が強いのが納得できました。
では、今までに1番印象に残ってるレースとかってありますか?
北井選手:A級からS級に特進ができた時が印象に残っています。チャレンジでも、何度か特進を逃しているのですがA級でも失敗していて、その敗因が僕が先行して番手の選手に差されたり、他のラインにドカンと捲れるとかではなく、他のラインが早駆けをされて自分が前に出きれず敗退をしてた中で先行して特進が出来たのが自分の中ではやはり先行が持ち味でなんだと自信になりましたし、今後も先行で戦っていくってべきなんだと確認が出来たレースだったので、自分の中で印象に残ったレースだと思います。
吉田:そうなんですね、最後の質問で生まれ変わったとしても競輪選手をやりたいと思いますか?
北井選手:はい、生まれ変わっても競輪選手をやりたいですね。何故かと言うと性格的にも競輪選手が向いてると思いますし自分の持ち味とかを考えると競輪選手の方がやっぱり向いてると思うからです。
吉田:今日はインタビューありがとうございました。
北井選手:ありがとうございました!
北井選手は素晴らしい選手です。彼の志は常に高く、目標に向かっての努力を惜しむことなく取り組んでいます。彼の情熱と決意は本当に立派であり、神奈川の選手にも大きな影響を与えていると思います。彼は疲れを知らず、一日中努力を惜しまず、常に自己超越を追求しています。彼の姿勢は本当に感動的であり、他の選手たちにも素晴らしい手本となっていると思います。そんな北井選手を一緒に応援をしていきましょう!
インタビュアー : 吉田輪太郎
川口 直人(カワグチ ナオト)
級班 | S級2班 | 生年月日 | 1976/11/24(48歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 175.0cm | 体重 | 90.0kg |
胸囲 | 97.0cm | 太股 | 66.0cm |
背筋力 | 200.0kg | 肺活量 | 4900cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 94.86 |
川口 直人 選手 インタビュー!
さくら:川口選手は脱サラして競輪選手を目指したんですよね?
川口選手:そうなんです。高校卒業して普通に就職して2年くらいサラリーマンしてましたね。
さくら:そこから選手を目指すきっかけはなんだったんですか。
川口選手:会社の人と川崎競輪に遊びに行ったんですよ。その時にレースを見て衝撃を受けて…。スピード感や迫力に圧倒されました。高校まで野球やっていて身体動かすことも好きだったし、あと毎日30分くらい自転車に乗って通学していたので自転車乗るのも好きだったんですよね。それで会社に競輪に詳しい人がいて選手になるのに年齢制限があるということなど色々教えてもらって、急きょ親に相談してそれから弟子入りしました。
さくら:急展開ですね。
川口選手:学校に合格できるタイムは3か月で出たんですよ。
さくら:すごいですね!では学校はすんなり受かりましたか?
川口選手:2回目で合格しました。勉強の方がちょっと…(笑)でも今思うと一度落ちてよかったのかもしれません。何も知らない状態で選手になるより、経験を積めたので。
さくら:そこからデビューして20年ですね。あっというまでしたか?
川口選手:あっという間でしたね。
さくら:選手になってからのご家族の反応はどうでしたか?
川口選手:父は普段からあまり多くを語らないので、特に何も…頑張れも言われたことないんじゃないかな(笑)母の方は今でも家でレース見ていてくれるみたいで、応援してくれてますね。サラリーマンから選手になるまでの間っていうのは実質無職なので、たくさん迷惑をかけたと思うし、もっと恩返しをしたいですね。
さくら:デビュー戦は1着1着2着でしたが覚えていますか?
川口選手:あーそうでしたね。選手になって唯一悔しくて泣いたんですよ。決勝が2着だったので。
さくら:そうだったんですね。その悔しさが20年続けてきた原動力なのでしょうか。
川口選手:そうですね…振り返るともっとやっておけばよかったって思うこともあるけど、目標に向かってこれからもやっていかなきゃなって思いますよね。
さくら:いくつまで選手を続けたいですか?
川口選手:限界までやりたいですね。三ツ井(勉)さんまではだいぶ遠いけど(笑)
さくら:同地区に三ツ井選手のような方がいると刺激を受けますよね。
川口選手:そうですね、自分がこの年齢になって改めてすごいって思います。三ツ井さんや遠澤(健二)さんと一緒に練習させてもらって本当に刺激をもらっています。
さくら:最後にこれからの目標を教えてください。
川口選手:GⅠ出場とS級優勝がまず目標ですね。それを達成しないと将来後悔しそうなので。年齢は重ねましたけど、神奈川の若手も育ってきているし、そこにくらいついていきたいですね。そしてファンのみなさんの車券に貢献したいです。
がっしりとして競輪選手として恵まれた体格をお持ちの川口選手。20年競輪選手を続けてきて、また今、目標を持って頑張っていこうという姿が素敵でした。その胸の中には、サラリーマン時代に初めて競輪を見たときに宿った炎がいつまでも燃えているのではないでしょうか。そんな川口選手の応援をよろしくお願いいたします!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2004/04/14 奈良競輪
200勝 2010/01/27 一宮競輪
加藤 圭一(カトウ ケイイチ)
級班 | S級2班 | 生年月日 | 1978/05/06(46歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 182.0cm | 体重 | 86.0kg |
胸囲 | 95.0cm | 太股 | 62.0cm |
背筋力 | 170.0kg | 肺活量 | 5200cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 96.10 |
加藤 圭一 選手 インタビュー!
さくら:競輪選手を目指したきっかけは何ですか?
加藤選手:元々父親が競輪好きで、よくテレビとかでも見ていたから競輪自体は知ってたんだ。高校までサッカーやっていて、大学進学って道もあったんだけど、サッカーはもういいかなって思っていたときに、競輪の番組見て「あ、これで稼げるんだ。楽そうだな」って思ってやってみるかって。
さくら:実際自転車乗ってみてどうでしたか?
加藤選手:初めて乗った時はキツかったね~。やっぱ真面目にサッカーやっときゃよかったって思ったりしたよ。でももう師匠にもお世話になっているし、簡単には辞められないからね、2年くらいで4回受験したんだよ
さくら:そうだったんですね、デビュー戦は完全優勝ですよね。
加藤選手:まあB級戦だけどね。でもB級を3場所で卒業してA級戦も初戦失格しちゃったけど、その次の次の開催では優勝戦にも乗ったかなあ。
さくら:すごいですね!
加藤選手:まあ意外とそこそこやれてたね(笑)
さくら:デビューして18年ですが振り返ってどうですか?
加藤選手:え、18年?!そっかもうそんなにやってるんだね。あっという間でしたね。
さくら:一番しんどかったことはありますか?
加藤選手:しんどかったこと…特にない(笑)
さくら:お、じゃあ逆に楽しかったことは?
加藤選手:楽しかったこと…まあ成績が良くなるとお金たくさんもらえて、それで飲みに行くのが楽しいこと、かなあ(笑)
さくら:お酒お好きなんですね。
加藤選手:でも家では飲まないんだよ。みんなで飲みに行くのが楽しいよね。嫌なこととかもテキーラ飲んで忘れちゃうのかも(笑)
さくら:テキーラ!強いんですね!
加藤選手:昔はそんな強くなかったんだけどね。
さくら:ご家族は加藤選手のレース見たりしますか?
加藤選手:見てるんじゃないかな。たまに奥さんから「なんであそこで内割らなかったの?」とか言われることがあるよ。
さくら:えええ!(笑)奥様詳しいですね!
加藤選手:うちの奥さんは大分の小野俊之選手が好きなんだって。前にテレビで見たらしくてさ。だから小野選手みたいに追込み選手でも存在感を出せって言うんだよね。
さくら:それはまたすごいアドバイスですね。
加藤選手:前、小野選手が俺に競ってきた時は嬉しそうだったもんね(笑)
さくら:すごい奥様ですね(笑)奥様からそんなアドバイスされて加藤選手はどう答えるんですか?
加藤選手:うーん、「そうだねー」って。
さくら:(笑) 本当に加藤選手は悟りの境地と言いますか、穏やかな方ですね。レースのことで怒ったりしたこともないのでしょうか。
加藤選手:うーん、ないかなあ。
さくら:逆に怒られたことは?
加藤選手:うーん、そんなにないけど、昔準決勝不発で負けた時にすぐ敢闘門に引っ込んだ時は先輩に叱られたね(笑)それくらいかな。一人で追い込んで勝ち上がった時はちゃんとトイレで笑ってるから(笑)
さくら:なんですかそれは!(笑)
加藤選手:昔遠澤さんから教えられたんだ、『一人で勝ち上がった時はトイレで笑ってこい』って。勝ち上がるのは嬉しいけど、競輪はラインの戦いでもあるからね。
(遠くで遠澤選手から「俺いいこと教えてるなあ!」と声が)
さくら:これからいくつまで選手を続けたいなど考えたことはありますか?
加藤選手:ないね(笑)体がいつまでもつかも分からないから、1日1日楽しく、終わった後においしいお酒が飲めればいいかな。
大きな体格で一見怖そうにも見える加藤選手ですが、話してみるととても面白くて大らかで、大らかすぎてと質問しても煙に巻かれているのかなと思う瞬間もありました。でも後輩でもある関根健太郎選手にアドバイスしたり、実はちゃんと厳しくもやさしい先輩です。奥様から存在感のある追込み選手になれと言われながら、ラインを大切に1走1走を走る加藤選手を、ぜひ金網越しに応援しましょう!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2007/04/11 小田原競輪
桐山 敬太郎(キリヤマ ケイタロウ)
級班 | S級2班 | 生年月日 | 1982/05/03(42歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2024/01/01 |
身長 | 178.0cm | 体重 | 90.0kg |
胸囲 | 98.0cm | 太股 | 66.0cm |
背筋力 | 170.0kg | 肺活量 | 6000cc |
脚質 | 両 | 今期得点 | 100.05 |
大塚 玲(オオツカ アキラ)
級班 | S級2班 | 生年月日 | 1981/08/24(43歳) |
---|---|---|---|
血液型 | B型 | 級班所属日 | 2024/01/01 |
身長 | 180.2cm | 体重 | 85.0kg |
胸囲 | 100.0cm | 太股 | 63.0cm |
背筋力 | 140.0kg | 肺活量 | 5800cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 104.17 |
大塚 玲 選手 インタビュー!
吉田:競輪選手をめざしたきっかけを教えてください。
大塚選手:8つ離れた兄(大塚円さん 元75期)が競輪選手を目指していたのを見ていて、自分もなりたいと思いました。
吉田:自分が現役時代の時に面識があった、円さんは懐かしいです。
お兄さんはお元気にされてますか?
大塚選手:最近会ってないので分かりません。(笑)
吉田:もしかしたら、お兄さんがこのインタビューを見てくれてるかもしれませんね。
いくつ位から憧れがあったのですか?
大塚選手:小5です。兄と8つ離れていたのでその頃から目指していて、高校時代も自転車やっていました。
自転車部がない県立川崎北高校に通っていて、自分一人だけで自転車部みたいな愛好会を立ち上げて大会に出てました。
吉田:ちなみに高校時代の成績はどうでしたか?
大塚選手:成績は同学年での吉川誠くんがいて、いつも吉川くんに勝てず、ずっと2位でした。インターハイに出場した時はスプリント競技の予選で2位だったのですが、本戦では7位で終わってしまいした。
吉田:競輪学校入るのも簡単でしたか?
大塚選手:苦労しました、現役では受からず、アマチュアを3年間やって試験4回目で受かりました。
吉田:アマチュア時代は大変でしたか?
大塚選手:練習をしたりする事が結構マンネリ化してしまって、1回離れた時期があったんですが、やっぱり選手になりたいっていう気持ちになったので、結果的にはそれが良かったのかも知れません。
吉田:苦労して競輪学校に受かって卒業して、デビュー戦の事を覚えてますか?
大塚選手:めちゃくちゃ覚えてます!デビュー戦は地元の花月園で成績が1着、落車、1着で苦い思い出です。
緊張というよりも、すごいワクワクしてやっとデビューが出来るという気持ちが大きくて楽しかったです。
吉田:それは凄い思い出ですね。ちなみに今も競輪は楽しいですか?
大塚選手:楽しいんですけど歳が40を越えて体がしんどくなってきて、その影響で気持ちもちょっと落ち気味ですが、やっぱり同期で同級生の内藤秀久くん、松坂洋平くんが活躍してるんで負けたくないという気持ちがあり、年上の先輩も強い人がいるのでそこに追いつけって気持ちで頑張ってます。
吉田:そうやって疲れた時のお休みの時は何をやってますか?
大塚選手:基本的にはカフェ巡りですね。奥さんと出かけることが多いのですが、一日温泉入りに行ったりとか、あとは買い物ですね。
それと子供がサッカーをやっているのでそれを見に行ったりとかしています。
吉田:今まで走った中で、一番印象が残ったレースはありますか?
大塚選手:川崎記念で決勝3着に入った時も記憶がありますが、2022年にホームバンクを平塚に移籍してからの、平塚記念で決勝に乗れた事が近況ではすごい記憶に残ってます!
やっぱり地元での平塚記念の決勝に乗ったのがすごく気持ちも昂って良かったです。
吉田:2023年のG1平塚ダービーはどうでしたか?
大塚選手:平塚ダービーは出れたんですけど、成績は散々でした最終日も落車しちゃったんですよ。
G1平塚ダービーには2回出場したのですが、2回とも落車してしまっているので、来年に平塚で行われるG1のオールスターに出れるように頑張って、それまでになんとかG1の悪いイメージを払拭したいですね。
吉田:今年のレースの成績はどうですか?
大塚選手:今年は色々あって上手く噛み合ってなくて、正直流れが良くないので断ち切りたいのですけど、何か方法ありますかね?滝行とか?
吉田:神社巡りで御朱印集めとかも良いと聞きますね。
大塚選手:全国いろんな所に行けるので集めるのもいいですね。やってみようかな。
吉田:何歳まで選手やりたいですか?
大塚選手:自分の中では決まっているのですが、それは秘密です(笑)
子供が手がかからなくなる、高校を卒業するくらいまではS級で頑張りたいと思ってます。
吉田:選手を辞めた後は何かやりたいことはありますか?
大塚選手:遊びたいですね(笑)
あと1つ夢があって、辞めた後に1年間嫁さんと一緒にキャンピングカーで日本1周をしてみたいですね。その夢は前からやるって決めていました。
吉田:じゃあ、頑張らないとですね。
大塚選手:そうですね、良いキャンピングカーを買えるように頑張ります!
苦労したアマチュア時代から競輪選手になり、競輪選手になってからは先の事まで色々と考え、その目標に向けて練習を頑張っている大塚選手ですが、家族の事も大切している優しい性格の持ち主で周りの雰囲気を和やかにする癒し系の大塚選手。彼が決めている選手としてのゴールまでをぜひ一緒に応援をしましょう。
インタビュアー : 吉田輪太郎
節目勝数達成
100勝 2011/06/29 広島競輪
200勝 2020/07/20 弥彦競輪
小菅 誠(コスゲ マコト)
級班 | S級2班 | 生年月日 | 1980/06/01(44歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2024/07/01 |
身長 | 165.0cm | 体重 | 68.0kg |
胸囲 | - | 太股 | 59.0cm |
背筋力 | - | 肺活量 | - |
脚質 | 追 | 今期得点 | 95.69 |
小菅 誠 選手 インタビュー!
吉田:まず選手になったキッカケを教えてください。
小菅選手:中学生の時、お父さんが競輪が好きで競輪場によく一緒に行っていて、藤沢北高校の時にたまたま自転車部があったのでその流れで自転車競技を始めました。競輪選手になる為には、高校の時は競技のタイムが良くなかったので選手になれるのは難しいと思いました。なので、高校卒業して2年間は自転車に乗ってなかったです。その時はバイトをやっていました。自分と同級生の大西くんが現役で85期から受けていていましたが、自分は86期から選手を目指しました。
吉田:師匠の渡辺秀明さんに、元選手の関口くんと小菅選手は同じ時期に弟子入りをしたんですよね?
小菅選手:関口くんが入った1、2ヶ月後位に自分も秀明さんのところに弟子入りしました。
吉田:何回目で学校に受かりましたか?
小菅選手:5回目で受かりましたね。
吉田:5回目で受かった学校生活はどうでしたか?
小菅選手:学校生活は何もなかったですけど、とにかくサボりまくったのがヤバかったです(笑)
吉田:それだったら、休日の日は外出が出来ませんでしたよね?
小菅選手:はい、外出はほぼ出ていませんでした。授業を休むと外出する権利が無かったので1年中、山の上にこもっていました。でも、競輪学校時代は楽しかったです。南関の選手も多かったですしね。他県の選手も仲良くしてました。
吉田:競輪学校を卒業してからデビューしていた印象はありますか?
小菅選手:競輪学校から感じていたんですが、先行選手としてやっていくのは厳しいかなぁと思ってましたし、先行してもすぐに捲られていたので早々と自在の戦法に変えました。
吉田:自在の選手になって、どのぐらいでS級に上がれましたか?
小菅選手:4年目か5年目位ですかね?そうですね。成績からしたら順調にいけたいんじゃないんですかね笑
吉田:今、頑張ってるのは分かっているのですが、競輪をいつまでやりたいと思いますか?
小菅選手:歳とか関係なく、自転車や競輪に対してのモチベーションが下がったら辞めちゃうかもしれませんね。
吉田:小菅選手のモチベーションとはなんですか?
小菅選手:もともと自転車が好きで、つよい選手と走ったりしゃべったりするのが楽しいのかモチベーションとなっています。
吉田:今までの競走の中で印象に残ってるレースとかありますか?
小菅選手:そうですね。やっぱり優勝した時ですかね。
吉田:初優勝の時ですか?
小菅選手:1回目2回目の優勝は確か繰り上がり優勝だったと思いますのであまり印象が残ってないです(笑)なので、千葉でA級で完全優勝が出来た3回目の優勝がちゃんと取れたっていう感じで1番印象に残ってます。
吉田:普段は練習をしっかりしていて、休みの時は何をやってるんですか?
小菅選手:家でゴロゴロする事もなく、特に趣味が無いので強いて言うなら飲みに行くことですね(笑)ガヤガヤしてる所とかが大好きです。
吉田:そうなんですね(笑)それでは生まれ変わったとしても競輪選手はやりたいと思いますか?
小菅選手:競輪が好きですし、なかなかプロスポーツって職業をする事が難しいと思うし自分も苦労して入った競輪の世界なので生まれ変わったとしても、競輪選手を目指したいと思います。
吉田:今後、どんな選手になりたいかとかありますか?
小菅選手:どんな選手になりたいかって言うよりは上位で戦える選手でいたいです。最低限、S級にいられる様にしたいですね。とりあえず今はA級に落ちてしまったので、またS級に上がれるように頑張りたいです。ここ最近は怪我とかが多くあって年齢的にもなかなか調子が戻らなく、モチベーションがなくなり張り合いも無くなってきた感じがあったのでA級で優勝して、またモチベーションを上げていきたいと思います。
吉田:そんな小菅選手を応援してくれるファンの方に一言お願いします。
小菅選手:とりあえず一生懸命頑張るので、なかなか1着を取ることが出来ないので、3着までに絡むようなレースをしたいと思います。応援では名前を呼んでくれれば嬉しいです。
自転車の魅力に取り憑かれ、心から愛してやまない小菅選手。躍動する自転車の世界に参加し、風を切り裂く喜びを共有し自転車の力強さやスピード感に胸躍らせ、熱い応援の声を一緒に届けましょう!みんなに共感される大いなる愛情を持って、小菅選手を応援しましょう!
インタビュアー : 吉田輪太郎
武田 憲祐(タケダ ケンスケ)
級班 | S級2班 | 生年月日 | 1983/04/06(41歳) |
---|---|---|---|
血液型 | B型 | 級班所属日 | 2023/07/01 |
身長 | 178.0cm | 体重 | 78.0kg |
胸囲 | 100.0cm | 太股 | 63.0cm |
背筋力 | 250.0kg | 肺活量 | 5600cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 92.80 |
武田 憲祐 選手 インタビュー!
吉田:まず最初に聞きたいのが、選手を目指したきっかけとかを教えてもらえますか?
武田選手:そうですね大学3年生の時に野球部で将来、プロ野球選手は結びつかない実力だったので、体を鍛えてたから最初は消防士を目指していたのですが、その時にテレビで公営ギャンブルの競艇選手募集CMが目に入り調べてみると、体重と年齢が厳しそうだったので、同じ公営ギャンブルの競輪の方を調べたら24才までで体重も関係なかったので、湘南愛輪会に参加したのがきっかけで競輪選手を目指しました。
吉田:それから弟子入りをして、何年ぐらいで競輪学校に入りましたか?
武田選手:約2年です。正確には最初は適正試験で受験をして、あとは技能試験を2回受験し全部で3回目で競輪学校に合格をする事が出来ました。
吉田:学校生活とかの何か思い出はありますか?
武田選手:学校生活はそうですね。楽しかったっていうよりは20才を過ぎてからの規律が厳しくて、集団生活があまり楽しくなかったないです。でも授業とかで練習ができて、いろんな練習が同期と出来てレベルアップできたのはやっぱり良かったですね。
吉田:ちなみに今も選手になって開催中は集団生活になってると思うんですけど、学校の時とは違いますか?
武田選手:やっぱり、学校時代とは違いますね(笑)
吉田:その分、競走のプレッシャーとかはあると思いますがどうですか?
武田選手:それはもちろんあります。他の選手の皆さんにもあると思います。
しかし、そこはDVD鑑賞などをしてリラックスしたりして、レースじゃない時間にいかにリラックスをしてレース中だけ集中する様に心がけています。
吉田:生まれ変わっても競輪選手をやりたいと思いますか。
武田選手:100%競輪選手をやりたいと即答は出来ないですね。もちろん競輪選手の良いところもあるんですが、悪いところは怪我があったりしますからね。それに就職も競輪選手しかやった事がないので、他のお仕事もやってみたいなっていうのはあります。違うスポーツ選手でもいいですし、他の職種だと自分の性格的に例えば陶芸家とかで1人でコツコツとちょっと極める系とかが楽しそうかなって憧れもあります。
吉田:デビュー戦ではどんな感じの記憶がありますか?
武田選手:初日の結果は5着なんですけど、周りから多くの期待をしていただいてたのに、5着で情けなかった記憶しかないです。前を取ってカマシも出来ず、捲れずの5着だった2日目と3日目の着とかも覚えてて3着、5着で、当時9車のチャレンジ準決勝で3着でも決勝にいかです。決勝も、何も出来なかったと思います。周りの同期は1着、1着と勝ち上がっていたので、本当に情けなかったなというデビュー戦でしたね。
吉田:同期が活躍していたと話にありましたが、その当時は焦りとかありましたか?
武田選手:ありました。平塚には同期の上野真吾くんがいて、上野くんは学校時代にゴールデンキャップを取って卒業してきて多分、特進もして活躍していた時は焦っていましたね。
吉田:今までの中で印象に残るレースはありますか?
武田選手:S級優勝が2回あって、そのうちの一回が平塚で優勝したんですがそのレースと、それ以外では小田原記念の準優勝が印象に残っています。
吉田:そのような良い印象を越える目標としては何かありますか?
武田選手:記念準優勝はありますが、最近の記念レースでは決勝に乗れていないので先ずは決勝に乗れればと思ってます。
そこまで行けば運だと思うので、決勝進出して優勝ができれば今の目標は記念の決勝進出です
そうすれば自分の最高記録です
決勝に乗った9人は運もあれば優勝ができるかも知れないので
吉田:グレードレース(G1)への想いとかはありますか?
武田選手:そうですね、ずっと出れてなくて。
去年の前半が成績良くて9月の共同通信社杯G2に出れる予定だったのですが、8月に大怪我をしてしまい、そこがちょっと悔しかったですね。G2、G1に出れるように頑張りたいです。
40歳になったので厳しいとは思いますが、頑張ってる選手も多いので自分も頑張りたいと思います。
吉田:そうだったんですね。話は変わりますが休みの日には何をしていますか?
武田選手:そうですね、コロナ禍もあって釣りを始めたんですが、この2、3年は釣りが趣味になっています。今も続けてます。
娘2人も釣り堀とか行くと、魚を釣るのが好きなので家族でやっています、冬以外の土日とかに釣りに行くことが多いです。
吉田:それでは最後に、いくつまで選手をやりたいとおもいますか?
武田選手:同じ練習グループに三井勉さん(45期)がいたんですが、三井さんの選手歴が長いので、それを越えるくらいやりたいですね
自転車はセッティングやトレーニングなど、奥が深いので歳を取ってもモチベーションを保って競輪を極めながら人生を終えたいです。
自分から引退するというよりも、選手生命がある限り続けたいと思ってます。
プロスポーツ選手になりたくて、色々と調べ競輪選手になった武田選手。1人でも、コツコツと常に向上心を持ってセッテイングや練習に取り組み、努力を惜しまない姿勢が武田選手の競技能力の向上に不可欠な要素であり、他の選手にとっても素晴らしいお手本になると思います。そんな武田選手の活躍を本場で応援をお願いします!
インタビュアー : 吉田輪太郎
節目勝数達成
2018/07/06 京王閣競輪
川越 勇星(カワゴエ ユウセイ)
級班 | S級2班 | 生年月日 | 1997/01/19(28歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2024/07/01 |
身長 | 171.0cm | 体重 | 74.0kg |
胸囲 | 97.0cm | 太股 | 61.0cm |
背筋力 | 190.0kg | 肺活量 | 5520cc |
脚質 | 両 | 今期得点 | 104.61 |
川越 勇星 選手 インタビュー!
さくら:デビューして1年が過ぎましたが、この1年どうですか?
川越選手:まだ楽しくやれています。無理やり楽しいって思うようにしている時もありますが。
さくら:やはり気持ちの維持って大変なのでしょうか。
川越選手:実は少し前に気持ちが切れてしまった時期があって。A級上って「こんなもんかな」、と思って自分に甘くなって練習もおろそかにしてしまったんです。
さくら:そんな時があったんですね。そういう時はどうやって気持ちにスイッチをいれたんですか?
川越選手:どうしたって入らなくて、父(川越義朗元選手)に何度も「練習しろよ」って言われたりもしたんですが、言われると余計やりたくなくなっちゃって(笑)
さくら:反抗期みたいですね(笑)
川越選手:でも元々気持ちで走るタイプだったので、競走中は気持ち入れて走ってたんですけど、練習してない分脚力も徐々に落ちてたんでしょうね。ついに大敗してしまって、アシ(脚力)ないのバレた!と思って…。そこからまた競輪場来たり、色々練習誘ってもらったりして、今サボっていた分を取り戻しているところです。
さくら:またスイッチが入ってよかったです。111期の同期の活躍はどう見ていますか。
川越選手:刺激になりますね!同期と同じ斡旋だと色々情報交換しています。どんな練習してるか聞いてそれを取り入れてみたりしていますよ。
さくら:選手になろうと思ったのはやはりお父さんの影響ですか?
川越選手:そうですね。小さい頃から漠然と思ってたんですけど、初めて口に出したのは中3の進路を決める頃だったと思います。その時はぶっちゃけ競輪選手って楽な仕事だと思ってたんですよ。だから軽い気持ちで言っちゃって。でも初めて1000メートルタイム計ってみたらめっちゃめちゃしんどくて(笑)でも言い出した手前やめることもできないし、あと周りから絶対続かないって思われてたから、逆にやってやるぞって思いましたね。
さくら:そうだったんですね。
川越選手:でもそうやって自転車に乗り始めてからオヤジとの関係も変わりましたね。それまでは口もきかないような感じだったけど、話すようになって。今では一緒に酒も飲むし、すっかりいいおじいちゃんしてくれてますよ(笑)
さくら:素敵ですね。
川越選手:今考えると、高校行ってこうやって競輪選手になれたのもオヤジや先輩選手のおかげです。本当に感謝してます。
さくら:これからどんな選手になっていきたいですか?
川越選手:今はとにかく2着でもいいから積極的に攻めようと思って走っています。でも意識してないけどやっぱり1着を獲りたいって思う気持ちもどこかにあるのかもしれなくて、そういう迷いが競走に出てしまう時もあるので、しっかりと気持ちを入れて走っていきたいですね。それから自力でやれるうちは自力で、先行だけじゃなく走りの幅を広げて、しっかり勝ちに行ける選手になりたいですね!
選手になって2年目、まだたくさんの迷いや葛藤があるのだと感じました。でも持ち前の負けん気の強さでひとつひとつ乗り越えていくのだろうと思うと、これからの川越選手の選手人生をずっと追いかけたい、そんな気持ちになりました。気持ちで走るという川越選手にファンの声援はきっと後押しになるはず!ぜひバンクに行って声を出して応援しましょう!
インタビュアー:木三原さくら
松坂 侑亮(マツザカ ユウスケ)
級班 | S級2班 | 生年月日 | 1998/03/29(26歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2024/07/01 |
身長 | 179.8cm | 体重 | 86.0kg |
胸囲 | 96.0cm | 太股 | 62.0cm |
背筋力 | 176.0kg | 肺活量 | - |
脚質 | 逃 | 今期得点 | 91.15 |
塚本 瑠羽(ツカモト ルウ)
級班 | S級2班 | 生年月日 | 1997/11/05(27歳) |
---|---|---|---|
血液型 | B型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 172.0cm | 体重 | 81.0kg |
胸囲 | 110.0cm | 太股 | 68.0cm |
背筋力 | 240.0kg | 肺活量 | - |
脚質 | 逃 | 今期得点 | 93.65 |
荻野 哲(オギノ サトル)
級班 | A級1班 | 生年月日 | 1974/05/21(50歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2023/01/01 |
身長 | 169.0cm | 体重 | 75.0kg |
胸囲 | 98.0cm | 太股 | 56.0cm |
背筋力 | 180.0kg | 肺活量 | 4000cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 84.83 |
荻野 哲 選手 インタビュー!
さくら:競輪をめざしたきっかけは何ですか?
荻野選手:野球やってたんだけど、挫折してね。ずっと野球一筋でやってきて、でも大学進学のタイミングでこのまま行っても厳しいと感じたんだよね。それで他に誰もやっていないことをって思って、周りに自転車部の人とかいなかった中で、競輪の道を選んだんだ。だから実際に自転車に乗って練習を始めたのは高校3年生の1月くらいからだったかなあ。
さくら:未経験から3年で選手デビュー、割とトントン拍子に進んだのでしょうか。
荻野選手:でも当時は失敗したと思ったよ(笑)。師匠(加藤伸也・51期・引退)も怖かったしね。当時師匠も30歳くらいで俺と10歳くらいしか歳も変わらな中、厳しく指導してくれた。一緒に練習している仲間にもすぐにでも競輪学校に受かりそうなやつがいたから、良い練習ができていたんだと思う。タイミングとメンバーに恵まれたよね。
さくら:デビューしてからはどうでしたか?
荻野選手:実はデビューしてちょっと腑抜けになっちゃったんだよね(笑)。それまで野球一筋で遊びもしてないし、挫折した悔しさで競輪選手を目指したから、いわゆる「ガス抜き」っていうのかな?それをしてこなかったのが原因かなあ。20歳でデビューして友達はまだ大学生だし、俺はお金も稼ぎ始めたしで、ちょっと遊んじゃったんだよね。
さくら:そこからどうやって「また頑張らなきゃ!」って思いなおせたんですか?
荻野選手:遊んでた友達も就活が始まったりっていうのもあったけど、競輪界の同期や周りの選手が上のクラスに上がりだしたのを見てやばいって、やっと焦りだせたんだ。
さくら:そこからもう一回奮起したんですね。
荻野選手:でも一人じゃできなかったと思う。平塚には先輩も後輩もたくさんいるからそれも大きかったね。競輪場に来れば一緒に練習ができて刺激をもらえるからね。それでまずはS級に上がろう。って思ってね。S級上ったら次は優勝しよう。ってひとつずつ決めてやってきたかなあ。
さくら:コツコツタイプですね。
荻野選手:そういうわけでもないんだけどね(笑)。でも自分で決めたことはしっかりやるってタイプだからかな。毎日の練習も競輪場でみんなとやっているけど、メニューとか内容は自分で決めてあまり人に流されないようにしているんだ。色んな練習方法があるけど、あれもこれも手出してもね。年齢を重ねて最近さらにがむしゃらに練習量をこなすより、質を大切にしてるよ。
さくら:競輪選手歴25年目ということですが、どんな競輪人生にしていきたいですか?
荻野選手:そうだね、歳とともに楽しくなってきた気もするからね、視野が広くなったというか。だからまだまだ楽しめるかな?と思ってるよ。ケガもあるからいつまで続けられるかは分からないけど、少しでも長くS級で戦って、1年1年更新していければいいね!
高校時代に挫折した悔しさを原動力に選手を目指した荻野選手。選手になるという目標をひとつ達成して立ち止まりそうになった時、切磋琢磨し合える平塚の仲間の存在はどれだけ大きかったのだろうと思います。そしてまた目標を定め、一つ一つ努力を重ねられるところも荻野選手の魅力のひとつだと感じました。そんな荻野選手の応援よろしくお願いします!
(インタビュー日2019年5月7日)
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2005/08/16 小田原競輪
柴田 功一郎(シバタ コウイチロウ)
級班 | A級1班 | 生年月日 | 1976/07/01(48歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2021/07/01 |
身長 | 173.0cm | 体重 | 75.0kg |
胸囲 | 98.0cm | 太股 | 58.0cm |
背筋力 | 150.0kg | 肺活量 | 4800cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 84.05 |
柴田 功一郎 選手 インタビュー!
さくら:柴田選手といえばバック9番手だとしても諦めず、ゴール前の追い込みが強烈な印象がありますが、そのコースが空く!というのはどうやって見極めているんですか?
柴田選手:うーん、特に意識しているわけじゃないけど…でも少し遠くを見ているよ。目の前の選手だけを見て判断しているんじゃなくて、行きたい場所、少し先を見ている感じかな。
さくら:やはりそういう競走をするとなると緊張したり、レース前ピリピリするものですか?
柴田選手:オレ、緊張全然しないんだよね!敢闘門出るまで…いやもっとかな、残り2周くらいまでお客さんの声も聞こえているよ(笑)
さくら:そうなんですね!では今までに一番緊張したのはいつですか?
柴田選手:覚えてないなあ。(少し考え込んで)最近だと平塚記念の決勝の誘導くらいかな。決勝だし、責任重大だからね。
さくら:(笑)たしかに誘導責任重大ですよね。でも番手を走るのも責任重大ですよね。
柴田選手:もちろんそうだね。先行の番手だと、捲りが来たら止めなきゃいけないし、前の選手も残してあげたいとか、色々考えるね。考えすぎちゃって自転車が進まないことも時々あるよ。
さくら:ずばり聞きますが、すんなり先行の番手と捲り不発の番手。どっちがいいですか?
柴田選手:う――――――――――――――――――ん…不発かな(笑)。やっぱり先行の番手だと考えちゃうけど、不発ならそれで自分のコースを探すだけだし、気楽かもね。
さくら:こんなことをうかがっていいのかわからないですが、噂によると柴田選手は練習ではびっくりするほど弱いと聞いたのですが…。
柴田選手:(爆笑)そうだね、練習の走りだったらもうクビになってるかもしれないね。
さくら:競走になるとスイッチが入るんですかね。
柴田選手:お金を賭けてもらってるって思うからかな。
さくら:柴田選手もボートレースに賭けられるんですよね。
柴田選手:うん。でもボートも難しい(ボートの買い方について語る柴田選手)。だからきっと競輪も難しいよね。オレの1着なんて、俺でも予想つかなくてびっくるするもんね!
さくら:普段ご自身のレースは見ますか?
柴田選手:見るよ!自分のレース以外にも仲間のレースや自分と同じようなタイプの選手のレースもよく見てる。どの位置からどんなコース走ってきたのかとか。自分のレースだったらどっちのコースがよかったか見て反省したり、あとは何年も前のレースでもあのレースよかったなと思って遡って見返したりもするよ。
さくら:たくさん見てらっしゃるんですね。
柴田選手:そうだね、やっぱり競輪がすきだから、見ていて面白いよね。あと、練習や競走は苦しいけど、レース見るのは苦しくないから、それでイメージトレーニングしてる(笑)
さくら:イメトレですか(笑)。でも早朝(柴田選手はこの日朝6時半から)から競輪場にも練習に来てますよね?
柴田選手:平塚は練習環境がすごくいいからね。選手の人数も多いから競輪場に来れば誰かいて、誰かいれば練習もできる。本当にいい環境だよ。選手の少ないところだったらすぐに練習しなくなってとっくにクビになっていたと思うよ(笑)。
さくら:けっこうさびしがり屋ですか?
柴田選手:そうかも。前に冬の朝一番乗りで来たんだけど、誰も来なくて。2時間車の中で新聞読んでそのまま帰ったことがあるよ。
さくら:いくつまで選手を続けたいとか考えたりはしますか?
柴田選手:代謝になるまでやりたいね。家族もいるし収入も大事だから許してもらえるかわからないけど、子どもが成人するまではまずは頑張らないとね。
さくら:父として責任重大ですね。
柴田選手:こないだ休みだったから体育祭の応援に行ってきたよ。卒業式とか入学式とか、斡旋が入って行けないこともあるから行ける時は行くようにしてるよ。
さくら:いいお父さんですね。
柴田選手:でも上の子には最近無視される(笑)
さくら:それで近所のネコと遊ぶようになったんですか?
柴田選手:ネコも最近寄ってきてくれないんだよね。でもそのツンデレ感が可愛くてさ。まあネコアレルギーなんだけどね。
ゆっくりとやわらかなトーンでお話をしてくださった柴田選手。その雰囲気からはレースの鋭い追込みが想像がつきません。ひょっとしたら本当に残り2周まで柴田選手は「オフモード」なのかもしれません。でもスイッチを入れた瞬間、とんでもない集中力を発揮するからこそ、最終周回バック9番手からの追込みなんて技がなせるのかもしれません。
お話を聞きながらわたしはウルトラマンを思い出しました。タイマーが鳴ってピンチに追い込まれた後、諦めないで戦い抜く姿が、どんな状況でも最後までゴールを目指して走る柴田選手に重なりました。
そんな柴田功一郎選手を、ぜひ競輪場で応援しましょう。
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2003/05/11 伊東温泉競輪
200勝 2017/02/13 千葉競輪
長田 祐弥(オサダ ユウヤ)
級班 | A級1班 | 生年月日 | 1982/01/03(43歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2024/01/01 |
身長 | 172.3cm | 体重 | 85.0kg |
胸囲 | 96.5cm | 太股 | 63.0cm |
背筋力 | 180.0kg | 肺活量 | 4680cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 91.08 |
長田 祐弥 選手 インタビュー!
さくら:競輪選手を目指したきっかけはなんでしたか?
長田選手:入れ違いだったんですけど、高校の先輩に加藤圭一さん(平塚所属・85期)がいて、部活の先生から「競輪選手になった先輩がいる」って加藤さんの話を聞いていたんです。僕は高校までずっとサッカー部でキーパーをやっていたんですけど、身長が伸びなくて、プロのサッカー選手になるのは厳しいなと感じていました。それで進路を考えた時に、加藤さんのことを思い出して、競輪やってみようかな?と思ったのがきっかけですね。そこから自分で平塚の愛好会に連絡して自転車に乗り始めて、選手になるためには師匠見つけないといけないってことで紹介してもらって、親にも話して…って感じで選手を目指しました。
さくら:親御さんの反応はどうでした?
長田選手:応援してくれましたね。もともと自由にやらせてくれる親でしたけど、特に反対はなかったです。
さくら:未経験からということですが、実際自転車に乗ってみてどうでしたか?
長田選手:練習は厳しかったですけど、3,4か月でタイムも出てくれました。
さくら:すごい!
長田選手:昔からスポーツは何でもやればできたし、「ママチャリこぐの速いし大丈夫でしょ」って思って、実際、結構大丈夫でした(笑)。というのは冗談で練習厳しくやってもらえたおかげですね。タイムも出せたので、後心配なのは学科だと思って、そこからはタイムを落とさないように練習して学科の勉強を重点的にやってましたね。
さくら:天性のスポーツセンスもあったんですね。競輪学校時代はどうでしたか?
長田選手:競輪学校は、入っていた1年間で5年分くらい笑ったんじゃないかってくらい楽しかったですね。練習は怠けてよく怒られてましたけど(笑)。でも共同生活で同期と過ごす環境が本当に楽しかったですね。卒業式は、みんなバラバラになっちゃうのか~と思ってそれが寂しくて泣きました(笑)。
さくら:そんな楽しい競輪学校生活からプロとして勝負の世界に入ったわけですが、大変ではなかったですか?
長田選手:そうですね、選手になってからも怠けていたかもしれません。
さくら:えええ!?
長田選手:もちろん練習をやってなかったわけじゃないですよ!でも本当に真剣に考えて練習に取り組み始めたのってここ数年な気がして、そういう意味では怠けてたかなって思いますね。
さくら:この数年で何か心境の変化があったんでしょうか。
長田選手:年齢も30代後半になってきて、20代の頃みたいにはいかなくなってきているし、長く続けていくためには今からコツコツやっていかないとなと思いました。あと、それまでは一人で練習することも多かったんですけど、バンクに来て練習するようになったら、周りから刺激ももらえるし、意識も変わっていきましたね。怠けてた10何年、今の意識で練習してたら、どこまでいけたのかな~と思ったりもしますけどね(笑)。
さくら:長く続けるということでしたが、いくつまで選手を続けたいですか?
長田選手:最低10年は続けたいですね。年も年だけど、これからも頑張っていきたいですね。
今回インタビューをして、長田選手は常に少し先を見据えて行動をされている方なんだと感じました。持ち前のセンスに思い上がることなく、練習でさらに磨きをかけこの先どんな走りを見せてくれるのかと思うと、目が離せません!長田選手の応援ぜひよろしくお願いします!
(インタビュー日2019年6月7日)
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2010/11/24 福井競輪
近藤 俊明(コンドウ トシアキ)
級班 | A級1班 | 生年月日 | 1978/09/11(46歳) |
---|---|---|---|
血液型 | AB型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 179.0cm | 体重 | 77.0kg |
胸囲 | - | 太股 | - |
背筋力 | - | 肺活量 | - |
脚質 | 追 | 今期得点 | 90.05 |
近藤 俊明選手 インタビュー!
さくら:競輪選手を目指したきっかけを教えてください。
近藤選手:高校生の時に初めて競輪を見る機会がありました。その時、なんとなーくですけど、「俺にもできるんじゃないかな?」って思って。それかれ選手の賞金表みて今よりももっと賞金よかったから(笑)。そこから選手を目指しました。
さくら:それまでスポーツなどはやっていたんですか?
近藤選手:いや、バイトして遊んでるくらいで。それでもわりと進学校に通っていて、大学も推薦で行こうと思っていたので成績も悪くなかったんですよ。でも選手目指すって決めてから勉強もやめちゃって。先生に心配されましたね。
さくら:思い切りがいいですね(笑)。実際自転車に乗り始めてどうでしたか?
近藤選手:1週間で失敗したなと思って後悔しました(笑)。
さくら:でもやめなかったんですね。
近藤選手:もう選手になるって言って高校も卒業しちゃったし、選択肢がこれしかなかったんです。だからやるしかないなって。
さくら:デビューしてからはどうでしたか?
近藤選手:半年くらいしてから勝てるようになって、2,3年は楽しかったですね。で、またここ2,3年が楽しいです。
さくら:最近楽しくなったのはなぜですか?
近藤選手:今またどうやったら強くなれるのか考えて、練習したりするようになったからですかね。もともと稼ぎたいと思って選手を目指した部分もあったから、それまでの10年くらいは仕事だと思ってやってきてたんだと思います。歳も重ねて、若いころのようにはいかなくなって、それでも選手を続けていくために色んなことを考えて試すのが楽しいですね。
さくら:お弟子さんもとってますよね。きっかけは何かあったんですか?
近藤選手:練習相手がほしかったんですよね。それで師匠に相談して、弟子を取ろうって話になりました。
さくら:ご自身が師匠になってどうでしたか?
近藤選手:すごくいい経験になりました。人に教えるのって難しいし、言うからには自分もできなきゃいけないと思って同じメニューをこなしてきました。僕がもし弟子だったら、手本見せないで口だけで言われても反発しゃう気がしたので。自分もアマチュア時代が長かったからいろんな師弟関係を見てきて、一緒に自転車に乗って、面倒見てくれる人がいいよなって思って、そういうところを気を付けてましたね。
さくら:これからの目標を教えてください。
近藤選手:長く上のクラスで活躍できる選手でいたいですね。それから子供たちがまだ小さいので、やりたいことやらせてあげられるように1日でも長く選手を続けて、一円でも多く稼いでいきたいですね。
最初は軽い気持ちで、でも現実的に考えて職業として競輪選手を選んだのかもしれません。そんな始まりからでも、今でも妥協することなく練習メニューや練習環境をいいものにしようとするところ、またしっかりと考え行動するところに近藤選手のまじめな人柄を感じました。
近藤選手の応援ぜひお願いします!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2008/12/26 大宮競輪
200勝 2019/05/20 富山競輪
中西 司(ナカニシ ツカサ)
級班 | A級1班 | 生年月日 | 1981/07/26(43歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 177.0cm | 体重 | 82.0kg |
胸囲 | 100.0cm | 太股 | 62.0cm |
背筋力 | 200.0kg | 肺活量 | 5000cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 84.14 |
中西 司 選手 インタビュー!
さくら:中西選手は競輪選手デビューが27歳ということですが、選手を目指したきっかけはなんでしたか?
中西選手:元々自転車競技は高校の部活動で始めました。やっていたのはトラック種目の4km速度競走って種目でした。1,2年生の頃は特に将来とか考えることもなく、ただ部活として自転車に乗っていたので、最初から競輪選手を目指していたわけじゃなかったんです。でも同じ高校の2つ上に川崎健次さん(小田原所属・88期)や、1つ上に小菅さん(小菅誠・平塚所属・90期)がいて、競輪選手を目指しているのを見て、僕も目指し始めました。
さくら:高校卒業後の進路として競輪選手を目指されたんですね。
中西選手:はい。でもなかなか受からなくて、当時は年齢制限があったので、それで一度諦めたんです。
さくら:1度選手目指すの諦めてからは何をされていたんですか?
中西選手:色々、内装業の仕事とかやっていましたね。それから年齢制限がなくなったのを知ってもう一回目指そうと思って。
さくら:お仕事しながらも自転車は乗っていたんですか?
中西選手:全くです(笑)。
さくら:そこからまた合格するって大変な努力でしたよね。
中西選手:そうですね、94期と95期2回受験しました。簡単にはいかなかったけど、1回途中で諦めた時からずっと悔いが残っていて。だからまたチャンスがあると思ったら頑張ろうって思えましたね。
さくら:最初はなんとなく目指し始めたところから、より強い気持ちに変わっていたんですね。デビューして10年経ちますが、選手になってからの10年はどうでしたか?
中西選手:10年…厳しかったですね(苦笑)。10年もできるとは思ってなかったです。当時の僕は27歳という年齢をだいぶ上だと感じていたので。でも今では僕より上の年齢でデビューする人もいるし、それは言い訳にはならないなと思って練習しています。
さくら:最近も練習メニューも研究されていると聞きました。
中西選手:はい、林選手たちと一緒に色んな練習方法をとりいれてやらせてもらっています。今の目標はまずはS級に上がることですね。
さくら:1度諦めなきゃいけなかった競輪選手になれたというところが、中西選手のパワーの源になっている感じがします。
中西選手:どうかなあ…、でも悔いのないようにやりたいという気持ちは常にありますね。
さくら:辛いとかやめたいと思ったことは一度もなかったですか?
中西選手:やめたい…うーーん、4,5年前に落車して頭で出血しちゃって右側が麻痺したことがあったんです。その時は、「首になっちゃうかも…」と思ったりはしましたが、でも辞めたいとは思わなかったですね。復帰への焦りもあったけど、麻痺もしっかり治しました。
さくら:何歳まで選手を続けたいと考えたことはありますか?
中西選手:できるところまで、やりたいですね。悔いなく、やり遂げたいです。
1度は夢を諦めなければならなかったこと、もう1度チャンスを得たこと。映画のようなドラマチックな展開ですが、現実でこの再挑戦を成し遂げるというのは決して簡単なことではなかったと思います。その時の挫折やそこからの奮起が、夢を叶えた「競輪選手 中西司」の軸を作っているのかなと感じました。中西選手の応援よろしくお願いします!
(インタビュー日:2019年6月6日)
インタビュアー:木三原さくら
三ッ井 武(ミツイ タケシ)
級班 | A級1班 | 生年月日 | 1985/05/12(39歳) |
---|---|---|---|
血液型 | AB型 | 級班所属日 | 2024/07/01 |
身長 | 170.3cm | 体重 | 75.0kg |
胸囲 | 100.0cm | 太股 | 60.0cm |
背筋力 | 183.0kg | 肺活量 | 4780cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 86.73 |
三ッ井 武 選手 インタビュー!
さくら:選手を目指したきっかけは、やはりお父さん(三ツ井勉選手)の影響ですか?
三ッ井選手:まあそうですよね。でも割と軽い気持ちで、サラリーマンになって満員電車に毎日乗るのやだなあって思って、高校3年生の時に選手になりたいって親父に打ち明けました。そこから地獄の日々の始まりでした(笑)。
さくら:地獄の日々?!
三ッ井選手:子供の頃から親父の練習を見てきたりもしてたけど、実際やってみたら想像を超えてたし、父と子の関係から師匠と弟子になって、難しいことも多かった。親父は背中で語るタイプの人間だったから、黙る厳しさっていうのかな、結果がうまくでなくても何も言ってもらえなかった。どうしたらいいか僕も分からなくて辛かったですね。
さくら:三ツ井選手たちはとても仲のいい親子だと思っていました。
三ッ井選手:ここ2年くらいですよ。仲良くなったのは。僕が首の骨折って死にかけたくらいからですね。
さくら:大きなケガをされましたもんね。
三ッ井選手:僕はデビュー戦で鎖骨骨折したりして、まだ満足いく走りができてないんですよ。調子が良くなると落車してケガしての繰り返しで、まだ万全の状態で走れたことがないんです。それがもどかしいですよね。
さくら:ケガとの闘いだったんですね。
三ッ井選手:でも大ケガしてからかもしれません。本気で強くなりたいって思ったのは。それまではお金稼いで飲んで遊んでって生活してたんですよ。朝まで飲んで始発で帰って練習行ったり。でも今はもうそんな生活したいとも思わないし、寝る時間もいらないくらい練習したいです。俺、寝なきゃいけないから仕方なく寝てますけど、寝なくていいなら24時間練習していたいですもん。それくらいしなきゃ上位の選手と戦えない。本当にバイクみたいに速いんですよ。でもやっぱり勝ちたいじゃないですか。どうしたらバイクに勝てるのか、今はそんなことを四六時中考えてます。
さくら:イキイキしてるのが伝わってきます。競輪選手楽しいですか?
三ッ井選手:楽しいですよ。痛いけど(笑)。
さくら:これからどんな選手になっていきたいですか?
三ッ井選手:番手を回ることもあるけど、追い込み一本と思っているわけじゃないし、自力でも動きたいですね。どっちもできる選手でいたいです。中途半端と思われるかもしれないけど、その中途半端を極めたいです。
さくら:お弟子さんもいますよね。師匠になって変化はありますか?
三ッ井選手:そうですね、選手にしてあげたいって責任もあるし、自分の練習との両立が大変な部分もあります。自分がへとへとになるまでもがき練習をしたあと、息切らしながら弟子のバイク誘導したりとか(笑)。でも効率を考えた練習メニューをつくって弟子にやらせてみて、ちょっと弟子で実験してる部分もあるかも(笑)。しっかりデビューさせて、弟子と上のクラスで一緒に走りたいですね。
親子関係の変化、ケガからの復帰…三ツ井選手のここまでの競輪選手人生は困難に立ち向かい続けた日々だったのかもしれません。それらを乗り越え今また競輪を楽しみ、目標に向かって努力を続けている姿に胸を打たれます。三ツ井選手が100%、120%の力でレースに挑む姿が今から楽しみです!ぜひ間近で応援よろしくお願いします!
インタビュー日:2019年9月30日
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2017/04/10 弥彦競輪
関根 健太郎(セキネ ケンタロウ)
級班 | A級1班 | 生年月日 | 1990/12/06(34歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 180.0cm | 体重 | 85.0kg |
胸囲 | - | 太股 | - |
背筋力 | - | 肺活量 | - |
脚質 | 両 | 今期得点 | 89.66 |
関根 健太郎 選手 インタビュー!
さくら:関根選手とはデビューして3年目くらいの頃にお話させてもらって、その時「早くS級に上がりたいです」とキラキラした顔で話してくれたのがすごく印象に残っています。
関根選手:いやあそんな時期もありましたね(笑)自分でも割とすぐ上に行けるんじゃないかって思ってました。今思うと少し舐めてましたね。でも実際選手やってコテンパンにされて、それで心が折れた時期もありました。
さくら:そのあとお会いした時には「そんな簡単にはいかないっすよね」と少しやさぐれ気味だったのはその「折れていた時期」だったのでしょうか?
関根選手:そうかもしれません。僕は本当にメンタルが弱くて、でも師匠でもある親父は逆にすごく強い人で。周りからも「親父がそうなんだからお前もそうだろ」って思われるのもしんどかった時もありました。2世選手だと何かと比べられるし、平塚は2世選手が多いから、2世同士でも比べられますしね。
さくら:でも選手になろうと思ったのはお父さんの影響ですよね?
関根選手:そうですね、子どもの頃からよく競輪場につれてきてもらったりしていたので。高校の頃、進路を決める時に親父に相談したらOKしてくれて、それで師匠も父で。
さくら:父であり、師匠であるって関係として大変ではなかったですか?
関根選手:そうですね、厳しかったです。競走終わって家に帰ると父がムスッとした顔していて。レースがどうだったとか聞きたいこともあったしあーだこーだ言ってほしかったけど、一緒にいるのがしんどくて。自分の部屋にいるようになったり、家を出てみたりしたんでけど、逆に成績も落ちてしまって。
さくら:自活しながらって大変ですよね。
関根選手:でしたね。でも父が引退してから言われたのが「わざとだった」って。親子だからって甘やかさないように普通以上に厳しく接してくれていたみたいです。
さくら:そうだったんですね。お父さんの引退はどう感じられましたか?
関根選手:少し寂しかったですね。現地で見たかったけど、家族が見に行くと引退するって周りにばれちゃうから来るなって言われていて。誰にも言うつもりはなかったみたいですね。
さくら:そうだったんですね。
関根選手:引退した後、これからは家族として応援するって言ってくれました。本当は旅行でもプレゼントしてゆっくりしてもらいたいけど、今の僕の成績じゃいらないって言われちゃいそうなので、早く上に上がって親孝行したいです。
さくら:素敵ですね。なんだか数年前より大人になった感じがします。
関根選手:そうかもしれません(笑)前は今思うと練習も自己満でした。乗ればいいと思ってたし、若いから寝れば体力も戻ってまた乗れるしみたいな。でもそれで通用しなくて心折れて、今は考えて練習もやるようになりました。平塚は先輩もたくさんいるので、いっぱいアドバイスをもらってます。本当にようやく競輪選手になったって思いますね。
さくら:これからはどんな選手になっていきたいですか?
関根選手:やっぱり先行でみんなを引っ張っていく選手になりたいですね。自分の勝ち負けも大事だけど、やっぱり競輪はラインの競走なので、ラインを大事にできる先行選手になりたいですね。
さくら:じゃあ捲り追込みしたらヤジっちゃいますよ?(笑)
関根選手:それは、あの、展開もあるので、たまになっちゃったらすみません(笑)でも本当に、信頼して後ろについてもらえるような先行選手になりたいですね。
さくら:自分の後ろに3車でも4車でもついてくれるようになるってすごいことですもんね。
関根選手:そうですね。そんな選手になれるように頑張ります!
今日も変わらずキラキラとした笑顔で話してくださった関根選手。競輪選手になって8年目。厳しい世界でもまれ悩みながら成長してきたからこそ、またその笑顔が一層魅力的に感じるのかもしれません。選手が成長していく姿を見るのはファンの喜びですね。そしてこれからさらに成長していくであろう関根選手を追いかけるのもまたファンの楽しみではないでしょうか。
そんな関根選手をぜひ競輪場で応援しましょう!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2018/07/10 宇都宮競輪
八嶋 稔真(ヤシマ トシマサ)
級班 | A級1班 | 生年月日 | 1996/05/10(28歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2023/07/01 |
身長 | 164.3cm | 体重 | 69.6kg |
胸囲 | 97.0cm | 太股 | 60.0cm |
背筋力 | 196.0kg | 肺活量 | 4840cc |
脚質 | 逃 | 今期得点 | 83.62 |
高木 隆弘(タカギ タカヒロ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1969/05/20(55歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2024/01/01 |
身長 | 171.0cm | 体重 | 82.0kg |
胸囲 | 103.0cm | 太股 | 64.0cm |
背筋力 | 190.0kg | 肺活量 | 6000cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 77.88 |
髙木 隆弘 選手 インタビュー!
さくら:選手を目指したきっかけを教えてください。
髙木選手:僕ね、本当は体育の先生になるつもりだったんだ。体動かすのも好きだったし。ただ、出口(出口眞浩選手・63期・川崎所属)と高校の同級生で、あいつが競輪選手になるって言うから一緒に見学に行ったんだ。その時、「あ、競輪選手もいいなあ」と思ってね。そこからだね。
さくら:それまで自転車競技の経験はあったのですか?
髙木選手:いや、陸上はやってきてたけど自転車経験はなくて、それで63回生を受けれなくてね。でも体を動かすことには慣れていたし、64回生を適性で受けたんだ。
さくら:実際選手を目指すことに決めて自転車に乗ってみてどうでしたか?
髙木選手:うちの道場は厳しかった厳しからしんどかったけど、でも楽しかったよ。
さくら:選手になってからはどうですか?ここまであっという間でしたか?
髙木選手:もうすぐ30年になるけど…あっという間でしたね。
さくら:若い頃とご自身の中で変わったことはありますか?
髙木選手:うーん、今は前より穏やかになったかな。若い頃は上を目指して毎日のように追い込んだ練習をしてたんだけど、今は自分の体の状態と相談しながら弟子や若手の面倒を見つつって感じだね。
さくら:今日もお弟子さんやアマチュアの人たちの練習見ていますね。
髙木選手:26歳の頃に腰を痛めて、腰の怪我全部やったんじゃないかってくらい怪我して、でもそういう苦労や怪我の経験から学んだことがあるから、それを若手に伝えていくことが自分にできることだと思っているよ。
さくら:ご自身が選手を目指したときの道場は厳しかったというお話でしたが、髙木選手も師としてやっぱり厳しいですか?
髙木選手:そうだね、厳しいと思うよ(笑)。自分もそうだったけど、誰かが目を光らせてないとね、手を抜くことを覚えてしまったりするとよくないからね。あと面倒見ると決めたからにはちゃんと競輪選手にさせないといけないからね。
さくら:体育の先生の夢をやめて競輪選手になったということでしたが、なんだか先生の夢も叶えているみたいですね。
髙木選手:あ〜言われてみればそうだね(笑)。でも楽しいよ。若い時は同世代に出口や藤田和彦(63期・川崎所属)とかいて、その存在が刺激になっていたし、南関には滝澤さんたちのような強い先輩がいた。でも今の若手にはなかなかそうやって高いレベルで切磋琢磨し合える仲間が少なくなっているのかもしれないからね。自分がまだまだ努力してやっていることを見せないと行けないと思っているし、それが僕のモチベーションにも繋がっているのかもしれないね。
さくら:いくつまで選手を続けたいとか考えたことはありますか?
髙木選手:本当は50歳くらいでやめようと思っていたけど、今はこのままできるとこまでやっちゃおうかな?と思っているよ!
競輪選手としてのご自身の経験から学んだことを、惜しみなく若い世代に伝えていく姿は、とても素敵で、またお話を伺っている私もピッと背筋が伸びる気持ちになりました。まだまだその大きな背中を若手選手たちに見せてくれる髙木選手。その活躍をぜひ本場で応援してください!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 1992/05/18 前橋競輪
200勝 1997/03/07 西宮競輪
300勝 2001/06/04 取手競輪
400勝 2007/06/27 向日町競輪
安藤 宜明(アンドウ ヨシアキ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1970/10/29(54歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2024/01/01 |
身長 | 170.0cm | 体重 | 80.0kg |
胸囲 | 98.0cm | 太股 | 60.0cm |
背筋力 | 180.0kg | 肺活量 | 4200cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 81.57 |
鈴木 愼二(スズキ シンジ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1973/09/18(51歳) |
---|---|---|---|
血液型 | B型 | 級班所属日 | 2023/07/01 |
身長 | 171.0cm | 体重 | 76.0kg |
胸囲 | 96.0cm | 太股 | 57.0cm |
背筋力 | - | 肺活量 | - |
脚質 | 追 | 今期得点 | 80.52 |
鈴木 愼二選手 インタビュー!
さくら:選手になったきっかけを教えてください。
鈴木選手:実は遠澤さんが僕のお兄さんなんですよ。
さくら:えっ⁈
鈴木選手:僕が高校生の時に遠澤さんが僕の姉と結婚して、義理の兄になったんです。それまで競輪は知らなくて選手になるなんて考えてもなかった。でも遠澤さんを見てかっこいいなって思って、それで選手を目指しました。
さくら:選手を目指した時のこと覚えていますか?
鈴木選手:自転車乗るのはすごい苦しかったですね。結局試験は2回、適正で受けました。
さくら:選手になってからはどうですか?
鈴木選手:うーん、思い通りに行ってはいないですね~。最初の2、3年が一番しんどかったかもしれません。先行、捲りの自力でやりたかったので、5年目くらいまでは自力で頑張っていたんですけど、B級くらいまで落ちちゃって…。脚がないなあと痛感しました。もっと強かったらなあって。
さくら:嬉しかったことはありますか?
鈴木選手:うーん…S級点取れた時が一番嬉しかったかなあ。
さくら:今また調子も上がってきていますよね?
鈴木選手:そうですね、デビューして26年になりますが、また今上がってきている気がします。年齢も重ねちゃったから無理しすぎず、今の調子を維持していきたいですね。
さくら:26年…これまで平塚にもたくさん後輩が出てきたと思いますが、先輩としての鈴木選手はどんな風ですか?
鈴木選手:先輩っぽいことは何もしてないですね。後輩たちも怒るようなことするやついないし、たまには先輩っぽくガツンと言いたいんですけどね(笑)。
さくら:優しい先輩ですね(笑)。レースは今でも緊張しますか?
鈴木選手:しますよ。デビューからずっと、極度のストレスを感じてます(笑)。
さくら:極度のストレスですか?
鈴木選手:そうですよ。敢闘門では「あー、また競走するのかあ」ってストレス感じながらレースに向かって行ってます。恐怖感もあるのかな、ケガに対するものもあるけど、やっぱり負けることへの恐怖っていうのもありますね。それに慣れることはないと思います。
さくら:そうなんですね、そんなストレスと恐怖感と常に戦いながらレースに挑んでいるんですね。
鈴木選手:そうですね。それに負けたらもう選手ではいられなくなっちゃうと思います。
さくら:鈴木選手のこれからの目標を教えてください。
鈴木選手:また調子も上がってきているし、まずは優勝。また優勝したいですね。それに向けてコツコツ頑張ります!
柔和な雰囲気でいつも笑顔で話をしてくれる鈴木選手ですが、競走の時は26年間戦いに向かうストレスと恐怖心と戦いながらレースに向かっているのだと知ることができました。それらに打ち勝ち、さらにレースでも勝利したときの喜びはきっと何にも代えがたいものなのでしょう。優勝を目指して日々努力を続ける鈴木選手の応援よろしくお願いいたします!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2002/01/31 大垣競輪
200勝 2016/10/13 小田原競輪
安坂 洋一(ヤスサカ ヨウイチ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1976/04/27(48歳) |
---|---|---|---|
血液型 | B型 | 級班所属日 | 2020/01/01 |
身長 | 171.0cm | 体重 | 74.0kg |
胸囲 | 100.0cm | 太股 | 58.0cm |
背筋力 | 170.0kg | 肺活量 | 4300cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 79.76 |
畠山 裕行(ハタケヤマ ヒロユキ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1977/09/26(47歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2024/07/01 |
身長 | 172.0cm | 体重 | 71.0kg |
胸囲 | 98.0cm | 太股 | 56.0cm |
背筋力 | 160.0kg | 肺活量 | 5560cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 79.26 |
畠山 裕行 選手 インタビュー!
さくら:競輪選手を目指したきっかけを教えてください。
畠山選手:実は小さい頃からの夢だったんですよ。
さくら:そうなんですか!
畠山選手:父親が競輪が大好きで、子どもの頃から競輪を見てきて、漠然とですけど、将来は競輪選手になるんだってずっと思ってました。
さくら:でもスポーツ歴はずっと野球でしたよね?
畠山選手:そうなんです。だから野球が落ち着いた高3の夏から、自転車に乗り始めました。0からのスタートでしたね。
さくら:競輪学校に入るまでは何回くらい受験しましたか?
畠山選手:4回受けましたね。未経験だったし、とにかく必死でした。あの時受かってなかったらどうなってたかなと思いますね。諦めていたかもしれません。
さくら:競輪好きのお父さんの反応はどうでしたか?反対はされませんでしたか?
畠山選手:両親の反対はなかったですね。父親も今は70のおじいちゃんだけど、未だにレース見て応援してくれています。若い時は「もっと頑張った方がいいんじゃないか?」なんて言われるとウザいと思ったりしましたけど、本当にありがたいですよね。
さくら:いざ選手になったら憧れの人と一緒に走る機会もあったのでは?
畠山選手:そうですね、もう今は職業得として自分が選手になっちゃったから思わないですけど、最初はワクワクしましたね。
さくら:一番好きだった選手は誰だったんですか?
畠山選手:もう引退しちゃったけど長野の小野和昭さん(63期・2018年引退)ですね。小学校の文集にも書いたんです。小野さんみたいな選手になりたいって。
さくら:その小野さんとは一緒に走りましたか?
畠山選手:4回くらい一緒になったことがあって、小野さんにも文集に書いたって言ったんです。そしたら「俺じゃだめだ。俺はやめとけ」って言われちゃいました(笑)。でも豪快でなんかかっこよかったんですよね。
さくら:素敵ですね。選手になってちょうど20年ですが、あっという間でしたか?
畠山選手:あっという間でしたね!
さくら:辛かったこと、楽しかったこと、ぱっと思い浮かぶことはありますか?
畠山選手:楽しかったことはやっぱり仲間と飲みに行ったりすることですね。辛かったことは…思い浮かばないなあ。
さくら:いくつまで選手を続けたいなど考えたりしますか?
畠山選手:あと10年はってまずは思いますけど、いくつまでって言うよりはできるだけ長く、やれる限り続けたいですね。選手になってみて思いましたけど、恵まれた体格とか才能を僕は何一つもってないけど、それでもここまでやってこれたので、細くでもいいから長く選手であり続けたいですね。
競輪選手になるという夢を叶えた畠山選手。子供の頃抱いた夢を実現させられた人は決して多くはないと思います。自分は何一つ持っていないとお話されましたが、諦めないで努力を続けてきたことは間違いなく畠山選手の才能であり、誰にでもできることではないと思いました。畠山選手の応援、ぜひよろしくお願いします!
(インタビュー日2019年5月7日)
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2006/01/02 静岡競輪
200勝 2019/02/14 取手競輪
旭 啓介(アサヒ ケイスケ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1978/12/16(46歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2022/07/01 |
身長 | 175.0cm | 体重 | 85.0kg |
胸囲 | 105.0cm | 太股 | 64.0cm |
背筋力 | 230.0kg | 肺活量 | 3700cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 80.16 |
旭 啓介 選手 インタビュー!
さくら:旭選手といえば青色。青色が好きというイメージがありますが、いつからお好きなんですか?
旭選手:いやもうずっとですね。小さい頃から中日ドラゴンズファンで、そこからかな。郭 源治って選手がすきで、背番号が33番で、だから3って数字もすきなんです。
さくら:そうだったんですね。自転車のフレームもずっと青色ですか?
旭選手:自分で作ったのは全部そうですね。人ので違う色に乗ったこともあるけど、やっぱり青が落ち着きますね。一番合わなかったのが赤で、なんだかダメだったね。
さくら:本当に青色が好きなんですね。
旭選手:持ち物が青色ばかりで、こないだ初めて気持ち悪いかな?と思ったけどね(笑)
さくら:いいと思います(笑)
話は変わりますが、昨年の落車骨折以来、まだ戻り切ってないように感じますが初めての大きな怪我だったんですよね?
旭選手:そうですね、(骨折箇所は)鎖骨、肋骨3本、あと肩甲骨だったんですが、今まで落車はあっても骨折は初めてでした。鎖骨や肋骨なんかは多くの選手が折っているところなので「あーようやく1人前になったな」なんて思えたんですけど、肩甲骨はね、なかなか折っている人も少ないから…。
さくら:大変だったんですね。
旭選手:兄貴(旭健太郎選手)が骨折しているのを見てきたりしたので、やっぱり大変ですよね。
さくら:選手を目指したのはお兄さんの影響ですか?
旭選手:そうですね、僕が中学を卒業するとき兄貴が競輪学校を卒業してきて、卒業レースを見ていいなと思って選手を目指しました。
さくら:それまでのスポーツ経験は?
旭選手:中学高校と陸上をやっていました。小学校までは野球をやっていて本当は野球選手になりたかったんだけど、父親に反対されて。
さくら:お父さんは何で反対されたんですか?
旭選手:実は…勉強がね(笑)勉強できないのに野球選手になれるわけないって言われて。
さくら:えええ!そんな風には見えないですけど(笑)
旭選手:よく言われるよ(笑)できそうに見せるのが上手なんでしょうね。まあ何かしらプロのスポーツ選手になるって思って生きてきたから勉強をやらなかったってだけだけどね。ということにしておいて(笑)。でも今でも生まれ変わったら野球選手になりたいと思いますね。
さくら:そうなんですね。勉強してこなかったということで競輪学校の受験も苦労されたんですか?
旭選手:そうですね。高校卒業後に塾に行ったりして勉強するようになって、あと緊張症なところもあって6回目で合格しました。5回目の後、入学が1年に1回になったから、しんどかったけど、受かってよかったです。
さくら:デビューして18年目ですが、あっという間でしたか?
旭選手:あっという間でしたね。あっという間すぎて後悔してますよ。もっとあれやっとけばよかった。これしとけばよかったって思うことがあります。だから若い子にはもっと色々やった方がいいぞって伝えてます。色んな練習をしている人がいるし、強い選手はみんな研究熱心ですからね。
さくら:旭選手はどうやって研究してるんですか?
旭選手:周りに聞いたり、後はレースに行った時のお風呂場で強い選手の会話にこっそり聞き耳立てたりしてますよ(笑)でも色んな練習方法があるし、それぞれだから難しいよね。調子の悪い時に色々試し過ぎても、しっくりこなくて、また違うこと試して…って迷宮入りしちゃうんだよね。
さくら:年齢や調子に合わせての練習方法や乗り方って難しいんでしょうね。いくつまで選手を続けたいなど、今後の目標はありますか?
旭選手:50歳まではやりたいですね。あとやっぱりS級戦が楽しかったから、S級に戻りたい。今の状態ではたとえS級に戻っても通用しないから、しっかり調子を戻して、S級戦で戦えるようにしたいですね。
一つ一つの質問に丁寧に答えてくださる中で、今が旭選手にとって苦しい時期なのかなと感じました。怪我や歳を重ねることは選手にとって避けられないことで、競輪はそんな選手の体がエンジンとなり戦われている厳しい世界なのだと改めて感じました。もがき苦しみながらも再びS級の舞台を 目指して前を向く旭選手に、ぜひバンクで声援を送りましょう!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2005/03/03 玉野競輪
200勝 2011/06/27 青森競輪
川田 忍(カワダ シノブ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1978/09/06(46歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 178.0cm | 体重 | 83.0kg |
胸囲 | 96.2cm | 太股 | 60.0cm |
背筋力 | 221.0kg | 肺活量 | 4010cc |
脚質 | 両 | 今期得点 | 84.35 |
川田 忍 選手 インタビュー!
吉田:最初に選手を目指したきっかけを教えてください。
川田選手:自分の父親が理髪店をやっていて、そのお客さんとして今の師匠の上田さんがお客さんとして来てて、それがきっかけで選手を目指してみないかっていう感じになった。
吉田:なるほど、それはいくつの時ですか?
川田選手:高校卒業するちょっと前かな。
吉田:そうだったんですね。アマチュアはどの位やっていましたか?
川田選手:長かったです。18から23まで約5年近くやってましたね。
吉田:自分もアマチュアの時に良く一緒に練習しましたね。
川田選手:そうだね(笑)
吉田:ようやく学校を合格できた時の記憶とかってありますか?
川田選手:うん、すごい鮮明に覚えてますよ。
吉田:どんな感じでした。
川田選手:不合格のときは小っちゃい封筒が来て、合格の時は大きい封筒が来るっていうのがあったから、合格で受かった時は「やった!大きい封筒だ!」そんな記憶でした。
吉田:学校に行って、1年間の学校生活はどうでしたか?
川田選手:1年間の学校生活は特別厳しいっていうわけじゃないけど、時間に厳しかったのが一番つらかったかな。時間に拘束されるっていう感じで(笑)
吉田:ようやくデビューしたとの事ですが、思い出はありますか?
川田選手:緊張しすぎちゃってハッキリは覚えてないんすけど、前橋の予選で突っ張り先行で1着取ったっていうのは覚えてます。残りのレースは9着9着でした。
初日に1着取れてほっとしたというよりも、正直言って緊張したから、目の前が真っ白の状態しか覚えてない。
吉田:それから22年の選手生活が経ちますが、今の競走では真っ白にはならないですか?
川田選手:流石にそういうのはもう全然無くなりました(笑)
今は年齢が年齢だけに自在に立ち回っていきたいと思ってるんだけどなかなかそれが出来ていないのが現状かな。
吉田:今、競走で心がけてる事とかありますか?
川田選手:昔は力任せに踏んでるところを今は結構ペダリングとかバランス重視で走れる様に心掛けています。
吉田:休みの時のマイブームとかありますか。
川田選手:マイブームではないですが、時々お酒を飲みに行く事かな。
吉田:どういう種類のお酒にハマっているとかありますか?
川田選手:特にはないんだけど、お酒の種類っていうよりも、誰かと一緒に飲むの雰囲気が大事だなって思います。
それを楽しみに練習やレースを頑張っているかんじです。
吉田:そんな競輪生活をどの位、続けたいとかありますか?
川田選手:特には決めてないんだけど、レースで負けて悔しく無くなったら考えるかもしれない。今はまだレースで負けると悔しいと思う感情があるから、まだ選手は辞めないかな(笑)
吉田:人生やり直せるなら、また競輪選手をやりたいと思いますか?
川田選手:それは何とも言えないかな。違う人生もやってみたいと思います。
例えば居酒屋とかBarとかやってみたいです!
吉田:今までで一番印象に残っているレースはありますか?
川田選手:師匠と一緒に乗った平塚のレースが緊張しました、発走までの時間がめちゃくちゃ長く感じて
吉田:そのレースの結果はどうだったんですか?
川田選手:何回か師匠と連携はあるんだけど、最初は失敗してしまい、2回目は上手くいってワンツー決まりました。
吉田:お客さんにどんな風に応援して貰いたいとかありますか?
川田選手:名前で応援をしてもらえたら、それに応えようかなって気持ちになりますので、暖かく見守ってくれながら応援をしてもらえれば嬉しいです。
競輪選手は短期間で成果を上げることが求められる競技のため、プレッシャーや困難に直面する事もありますが、経験から力を得て成長していく事が出来ます。努力や、お酒好きな一面も含めて、川田選手がやっている競輪は魅力的なスポーツだと言えると思います。
そんな川田選手を金網越しで応援をお願いします!
インタビュアー : 吉田輪太郎
節目勝数達成
100勝 2007/06/24 静岡競輪
200勝 2012/04/22 宇都宮競輪
300勝 2018/04/14 立川競輪場
上野 真吾(ウエノ シンゴ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1987/07/02(37歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2024/07/01 |
身長 | 172.0cm | 体重 | 82.0kg |
胸囲 | 100.0cm | 太股 | 63.0cm |
背筋力 | 210.0kg | 肺活量 | 5600cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 83.50 |
河野 要(コウノ カナメ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1984/02/07(41歳) |
---|---|---|---|
血液型 | B型 | 級班所属日 | 2023/07/01 |
身長 | 165.0cm | 体重 | 68.0kg |
胸囲 | - | 太股 | 60.0cm |
背筋力 | 192.0kg | 肺活量 | - |
脚質 | 追 | 今期得点 | 81.86 |
河野 要 選手 インタビュー!
さくら:競輪選手を目指したきっかけを教えてください。
河野選手:高校生から自転車競技でロードやっていました。高校は別だけど同い年に今も世界で戦っている別府 史之(べっぷ ふみゆき)くんがいて、当時からめちゃめちゃすごかったんですよ。やっぱりそんなすごい人見ちゃうと、このままロード続けてもなって考えちゃって。大学進学も考えたんですけど、競輪やってみようかな?と思って目指しました。
さくら:ロードから競輪となると自転車競技と言っても全く違うと聞いたことがあります。
河野選手:そうですね、僕も短い距離のタイムが全然でなくて苦労しました。僕5回目で受かったんですけど、2回目から4回目は全部短い距離のタイムで落ちてました。師匠や高校の1個上だった松坂洋平さんに見てもらったり、あと桐山敬太郎さんや近藤俊明さんにもたくさんアドバイスもらって、そしたらある日突然タイムがでるようになったんです!
さくら:すごい!どんなアドバイスがきっかけだったんでしょうか。
河野選手:明確なものはないですけど、教えてもらったことを言われたとおりに続けていたら、安定しなかったタイムが突然安定して、それで合格しました。
さくら:選手になって10年過ぎましたがあっという間でしたか?
河野選手:今思えばあっという間ですけど、しんどかったですね。デビューした時師匠に「どんな勝ち方でもいいから半年で特別昇班しろ」って言われたんです。それで言われた通り半年で特進したんですけど、そしたら次は「バック回数20本つくまで先行しろ」って言われたんです。それで今度はバック20を目指して走って…。簡単ではなかったですけどとにかく先行しました。
さくら:すごい教えですね。バック20は達成しましたか?
河野選手:しました!バック回数が20をこえて、そしたら師匠に「これがお前が先行した時の競走得点だ。あとは自分で考えて好きに走れ」って言われたんです。
さくら:斬新な教えですね。
河野選手:面白い師匠でしたね(笑)。じゃあと思って、捲りが好きだったから捲りに構えてみたりしたけど、全然勝てなくて、このままじゃやばい!と思ってそれからすごく考えるようになりました。それまで言われたことをやってきていたけど、誰かがいいと言ったものでも自分に合うかは分からないし、色んな事を試して、考えて練習するようになりましたね。アマチュアの頃から朝練グループで面倒を見てもらっていたんですけど、試したいことがあるからと僕のわがままで抜けさせてもらって、違う練習を始めたりして。弱くなることは許されないですよね。
さくら:自ら追い込んで努力されたんですね。
河野選手:でもそんな苦しいとかって気持ちはないですよ。自分に合うものを見つけられると楽しいし。それに効率良く身になる練習を見つけるってことは「楽して強くなれる」ってことですからね。本当は楽して強くなりたいだけです(笑)。
さくら:そういう発想はなかったです(笑)。そんな自分にぴったり合う練習方法はもう見つかったんですか?
河野選手:まだです。だからまだ努力を続けないとですね(笑)
ユニークな教えの師匠の精神を受け継いだのか、はたまた河野選手自身の天性のものなのか、自分に合うトレーニングを考える探求心は、もはや河野選手の才能であり、魅力の一つだと感じました。実はとってもトークも面白い河野選手。ぜひ1着で勝利者インタビューを聞けるよう応援よろしくお願いします!
(インタビュー日2019年6月6日)
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2014/12/21 小倉競輪
植木 和広(ウエキ カズヒロ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1979/12/13(45歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2024/01/01 |
身長 | 175.0cm | 体重 | 80.0kg |
胸囲 | 100.0cm | 太股 | 60.0cm |
背筋力 | 180.0kg | 肺活量 | 4900cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | - |
植木 和広選手 インタビュー!
さくら:競輪選手を目指したきっかけを教えてください。
植木選手:説明すると大変なんだよ~(笑)。
さくら:そうなんですか?!高校から自転車競技をやっていたんですよね?
植木選手:そうそう。大学まで自転車競技部だったよ。
さくら:そこから選手へ、というわけではないんですか?
植木選手:実は一回就職してるんだ。選手になろうと思っていたんだけど、大学卒業できなくて(笑)。単位足りなかったんだよね。卒業できないってわかった時に「あ…競輪とは縁がなかったってことかな?」と思って就職してサラリーマンになったんだ。
さくら:そこからまた選手を目指したのは何故でしょう。
植木選手:小さな会社だったから何年か働いて転職を考えてたんだ。ちょうどそのタイミングで久しぶりに大学の自転車部の手伝いに行って、自転車に乗って…。卒業してから全く乗ってなかったんだけどね。感覚がよみがえってきて「今何秒出せたら(競輪学校)受かるの?って聞いて。そうか、と思って。そこからだね。
さくら:縁が再びつながったんですね。
植木選手:結局2回受験したけどね(笑)。
さくら:実際選手になってからはどうですか?なってよかった?
植木選手:うーん、そうだね、楽しいよ。ケガも鎖骨くらいしかしてないし、その時もそんな大事にはならなくて。恵まれてるよね。
さくら:30歳での選手デビューは大変ではなかったですか?
植木選手:まだまだ新鮮味を感じてるよ。平塚は遠澤さんや功一朗さんもいるから、まだ若手でいさせてもらえてる。
(近くにいた遠澤選手に「植木選手はまだ若手だと思っているということですが」、と尋ねてみると「小僧だよ!小僧!まだまだ」とのお返事が)
さくら:記憶に残っているレースなどはありますか?
植木選手:村上さん(村上義弘選手・京都)と一緒のレース走ったことかな。三谷(三谷竜生選手・奈良)-村上ラインで、俺のいるラインが先行してくれて、俺は村上さんをブロックしに行って…ってそんな感じのレースだった。デビューは遅かったけど、頑張ればこのクラスの人たちと一緒に走れるんだなと思ったことを覚えてるよ。だからまたS級に戻ってそのクラスの人たちと関わりたいよね。
さくら:いくつまで選手を続けたいなど考えたことはありますか?
植木選手:うーん、とりあえず50歳までは。自分の50歳は全く想像がつかないし、どうなっているかわからないけど、遠澤さんみたいな人もいてくれるから、そこをめざしていきたいね。
さくら:50歳というとちょうど10年ですね。
植木選手:そうだね。…デビューからも10年が経って、同期たちはちょうど俺がデビューした年齢になったでしょ?それで今チャレンジで走っている同期が、いざ自分がその年齢になったときにもっと頑張らないとなって思うらしいんだ。俺が30歳でデビューして37歳でS級に上がった姿を見てきてるからって。
さくら:植木選手のこの10年が、年下の同期の指針になっているんですね。
植木選手:自分の中ではのらりくらりとやってたらあっという間に10年経ったって感じだけど、そう思ってくれるやつもいるし、これからの10年はまた頑張らないとね。
ワイルドでやんちゃそうな植木選手ですが、お話するととても気さくでやさしい、そしてちょっとかわいらしい方でした。競輪選手としてのスタートは少し遅れたかもしれません。でも自分を見失わず前へと進んできたからこそ、その姿が今誰かを勇気づけているのだと感じました。
植木選手の応援、ぜひよろしくお願いします!
(インタビュー日 2019年7月24日)
インタビュアー:木三原さくら
河野 淳吾(コウノ ジュンゴ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1982/07/09(42歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2023/07/01 |
身長 | 183.0cm | 体重 | 95.0kg |
胸囲 | 100.0cm | 太股 | 64.0cm |
背筋力 | 220.0kg | 肺活量 | 5400cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 82.32 |
渋谷 錬(シブタニ レン)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 1990/11/25(34歳) |
---|---|---|---|
血液型 | B型 | 級班所属日 | 2024/01/01 |
身長 | 172.0cm | 体重 | 80.0kg |
胸囲 | 97.0cm | 太股 | 62.0cm |
背筋力 | 210.0kg | 肺活量 | 4200cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 83.30 |
渋谷 錬選手 インタビュー!
さくら:渋谷選手が競輪選手を目指したきっかけはなんでしたか?
渋谷選手:青森の伊藤大志(青森・86期)が兄なんですけど、兄の卒業記念レースを見に行って、そこで初めて競輪を見て、かっこいいなと思って選手を目指しました。
さくら:それまでのスポーツ経験は?
渋谷選手:野球をやってきました。
さくら:野球とは全然違いましたか?
渋谷選手:全然違いましたね。自転車はすごく繊細なスポーツだと思いました。その日の体調で全然変わってしまうし、タイムがでなくても誰もカバーはしてくれないですし。高校を卒業してアマチュアで練習を重ねて、3,4回受験しました。
さくら:受かったとき、お兄さんの反応はどうでしたか?
渋谷選手:報告したら、めちゃ喜んでくれました。今でも一緒の開催になったりすると嬉しくなりますね。
さくら:選手になってからはどんな気持ちでしたか?
渋谷選手:なるまでも難しいと思ったけど、なってからの方がやっぱり難しいです。やっぱりレースは思い通りにいかないです。個人で走るのとは全然違うので。
さくら:難しいと思ったとき、どうやって乗り越えてきたんですか?
渋谷選手:乗り越えられてないですよ(笑)!ずっと難しいまんまです。でも悩んでいても仕事だから。昔兄貴に相談したときも「やるしかねーだろ!」って返事が返ってきました(笑)。
さくら:厳しいですね(笑)。苦しい中でも楽しかったことはありますか?
渋谷選手:え、何だろう…。あ!クラス違うんですけど、兄貴と一緒の競走になってサウナに一緒に入ったときは嬉しかったですね。一緒の仕事してるんだなあって。開催のあとに一緒に二人部屋で後拍したり、そういうのは嬉しいですよね。
さくら:仲いいですね~。そういう時はどんな話しますか?
渋谷選手:競輪の話はあまりしないですね。お酒の話とか、たわいもないことを。
さくら:お酒すきなんですね。
渋谷選手:好きですね。開催後はよく飲みますね。つい飲みすぎちゃうから気を付けないとですけど(笑)。
~ここから一通りお酒トーク~
さくら:これからどんな選手になっていきたいですか?
渋谷選手:先方が追い込みなので、横はちゃんと厳しくして、でも今の時代はタテ脚もないといけないので、自分でも捲れるくらいに自力もある選手になりたいですね。
さくら:番手回るようになるとタテがどうしても落ちてしまうと聞いたことがあります。
渋谷選手:そうですね、最近それを痛感したので、またタテの脚も取り戻せるように今は練習を頑張っていきたいです。
憧れのお兄さんと同じ競輪選手になるという夢を実現したものの、競輪界という厳しい世界で生き抜くために、壁を乗り越えようと努力を続けている渋谷選手。試行錯誤の日々は選手を続けている間続くのかもしれませんが、お兄さんとのプチ旅行やおいしいお酒を息抜きに、これからも頑張ってほしいですね!渋谷選手の応援よろしくお願いします!
インタビュアー:木三原さくら
添田 龍児(ソエダ リュウジ)
級班 | A級2班 | 生年月日 | 2000/09/17(24歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 179.0cm | 体重 | 80.0kg |
胸囲 | 107.0cm | 太股 | 63.0cm |
背筋力 | 150.0kg | 肺活量 | - |
脚質 | 逃 | 今期得点 | 88.00 |
遠澤 健二(トオサワ ケンジ)
級班 | A級3班 | 生年月日 | 1965/02/13(60歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2024/07/01 |
身長 | 169.0cm | 体重 | 74.0kg |
胸囲 | 95.0cm | 太股 | 58.0cm |
背筋力 | 120.0kg | 肺活量 | 6000cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 71.40 |
遠澤 健二 選手 インタビュー!
さくら:遠澤選手は脱サラして(サラリーマン経験を経て)選手になったのですよね。
遠澤選手:そうそう、高校を卒業して会社に入ったんだけど、仕事が嫌でもっと稼ぎたいと思ったんだよね。それで競艇選手か、競輪選手かどっちにしようかなと思って。ダメだったら平塚の梅屋(梅屋百貨店2011年閉店)で働こうって思ってさ。当時集団就職で女の子がたくさん働いていて、梅屋も楽しそうだったんだよね(笑)
さくら:それまで自転車経験はなかったんですよね。
遠澤選手:そうだね、高校まで陸上で自転車経験はなかったけど、半年練習して受かったんだ。
さくら:未経験から半年でってすごいですね。
遠澤選手:当時は半年に1回試験があって、競輪学校受けてる人は今よりもっと多くて、毎回120人くらい合格していたんだよね。でもその中でも8位くらいで卒業できたし…。働いていた会社の人にもなれるわけないからやめろって言われていたけど、今思えばトントンと進んだね。
さくら:きっとすごいエネルギッシュというか、パワーがあったんでしょうね。
遠澤選手:そうだね、あの頃はすごくエネルギーがあったね。当時のエネルギーが今も続いていたらもっと強いか、もしくは死んでると思う(笑)
さくら:それでも選手歴33年目ですよね。気持ちの維持はどんな風にされてきたのですか?
遠澤選手:それは不安だから!いつ弱くなっちゃうんだろうって思ったら不安で、だから練習を休めなかったね。
さくら:不安!そうなんですね。ちょっとの甘えとか気持ちの折れで、練習を休めてしまうわけですもんね。そんなご自身の気持ちとずっと戦ってきたんですね。
遠澤選手:そうだね。選手の人生7割苦しいことで、3割ちょっと楽しいことがあるくらいだよ。
さくら:それを30年以上続けてきたのですね。
遠澤選手:楽になりたいって思ったり、楽しく走りたいって思うよ。例えば宝くじが5億くらい当たったら俺、先行するもんね。でもそういうわけにもいかないし、そんなことはありえないから、だからやめるまで苦しいんだろうね。
さくら:いくつまで選手を続けたいと考えたことはありますか?
遠澤選手:そうだね、孫がまだ小さいから競輪分かるようになるまで続けたいね!
(ここで「じゃあ後10年っすね」と松坂洋平選手から声が飛んでくる)
遠澤選手:10年かぁ。長いなあ(笑)
さくら:「若大将」と呼ばれた遠澤選手が「おじいちゃん」と呼ばれているとこになんだかちょっと違和感を感じます。
遠澤選手:そう?孫に呼ばれる分にはなんとも思わないよ。むしろそんな歳まで頑張ってきたんだなと思うよ。
さくら:来期はS級ですね。(取材日は2018年10月25日)
遠澤選手:そう!また頑張りたいねえ。今年の初めはS級復帰してすぐ落車しちゃったから。
さくら:長期欠場から復帰するのは大変ではなかったですか?
遠澤選手:意外と平気だったんだよ。選手になって30年休んだこと無かったから、リフレッシュ休暇みたいなもんでさ。入院も苦じゃなかったよ。
さくら:では再度気合が入りますね。
遠澤選手:A級戦では勝つことを求められてきたけど、S級戦ではチャレンジャーだからね。年齢も重ねてきて今は一走一走ベストを尽くして走りたいね。
さくら:なんだかとっても素敵です。
遠澤選手:だから端から見ると良く見えるんだよ(笑)実際は苦しいことばっかなの。でも俺も俺を端から見たら輝いて見えると思うけどね。
お話させてもらって、とにかくかっこいい!の一言。それは爽やかでやさしい雰囲気や外見だけではなく、「不安だから練習する」と自らの弱さを自覚して、それと30年以上戦い続けている遠澤選手の、ぶれることのない強さからくるものかもしれません。自分の気持ちと戦う日々を送りながらも明るく爽やかな遠澤選手、知れば知るほどファンになってゆきます。
そんな遠澤選手をぜひ競輪場で応援しましょう!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
200勝 1999/01/18 平塚競輪
300勝 2014/02/07 大宮競輪
渡邊 秀明(ワタナベ ヒデアキ)
級班 | A級3班 | 生年月日 | 1971/10/08(53歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 177.0cm | 体重 | 78.0kg |
胸囲 | 101.0cm | 太股 | 64.0cm |
背筋力 | - | 肺活量 | 6300cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | - |
渡邊 秀明選手 インタビュー!
さくら:選手を目指したきっかけを教えてください。
渡邊選手:親父が競輪好きだったんですよ。それで選手になれって言われていて、競輪場にもよく連れてかれてました。
さくら:子供の頃からですか?
渡邊選手:そうですね。だから小さい頃から選手目指そうかな?って思いが頭の中にありました。高校で進路を考えるタイミングでちょうど小田原競輪に神山さん(神山雄一郎選手・栃木・61期)が来ていて、「すごい強い選手いるから見に行こう」って言われて、生でレースを見て、選手になりたいなって本気で思い始めましたね。
さくら:実際目指すと決めてからはどうでしたか?
渡邊選手:高校3年の夏休みくらいから自転車に乗り始めて、きつかったですけど、予想はしていたので一生懸命練習して、2回目で合格しました。ちょうど兄弟子にシバケンさん(柴田健さん)もいて、必死に食らいついて練習してましたね。師匠も厳しかったけど、おかげで受からせてもらえたって思いますね。
さくら:デビューしてからの選手生活は順調でしたか?
渡邊選手:はじめポーンと新人リーグやA級で優勝できたりしたんですけど、S級上がるのに苦労しました。19歳デビューだったんですけど、24歳でやっとS級に上がったんです。競輪学校時代の記録会で1000メートルのタイムがビリから3番目くらいだったんですけど、卒業できればいいかな?くらいで思って過ごしてきちゃったから(笑)、S級に上がる脚がなかったんでしょうね。
さくら:意外と楽しようとしちゃうタイプなんですか?
渡邊選手:はい、スキあらば(笑)。このままじゃマズイと思ったのが22か23の頃で、同期がみんなS級に上がっていって遅れをとりたくないと思って気持ちを入れ替えました。
さくら:スイッチが入ったんですね。
渡邊選手:そこから親父に朝、車誘導してくれって頼み込んで、色々練習に協力してもらいました。親父が死ぬまで付き合ってくれましたね。
さくら:お父さんは嬉しかったでしょうね。
渡邊選手:親戚に自慢していたって聞きましたね。
さくら:渡邊選手はお弟子さんも多いですよね。面倒を見るということは決して楽なことではないと思いますが。
渡邊選手:大変ですよ。アマチュアはお金もないからごはんも食べさせてあげたり…でもそれで僕も稼がなきゃって思ったし、一緒に練習できるって環境を作れたのは自分にとってありがたいことでしたね。大変だったけど、それでも楽しかったですね。選手になってくれれば嬉しいし、競走で一緒になることが自分のモチベーションにもつながっていきました。
さくら:これからの目標を教えてください。
渡邊選手:もう一回上のレースで弟子と一緒に走ることですね。それが今の僕のモチベーションです。いまだに真久留だけ抜いてないんですよ(笑)。あとみんな抜いてるんですけどね(笑)。
さくら:それは師匠として頑張らないとですね(笑)。
渡邊選手:弟子の成長は嬉しいものですけど、僕自身もまだまだ頑張って注目の集まるレースで走りたいですね。
師匠として多くの弟子を競輪界に送り出してきた渡邊選手。勝負事の世界で人を育てるということは簡単なことではないはずで、なぜ師弟制度があるのかという疑問がありましたが、その関係が一方的なものではなく、師匠も弟子をとることで学び、強さに繋がる経験をしているのだと、渡邉選手のお話を聞いて知ることができました。
渡邉選手の応援、ぜひよろしくお願いします!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 1997/06/23 函館競輪
200勝 2004/05/19 向日町競輪
300勝 2016/03/22 玉野競輪
眞原 健一(マハラ ケンイチ)
級班 | A級3班 | 生年月日 | 1973/01/18(52歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2025/01/01 |
身長 | 173.0cm | 体重 | 84.0kg |
胸囲 | 100.0cm | 太股 | 63.0cm |
背筋力 | 200.0kg | 肺活量 | 4800cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 63.28 |
眞原 健一選手 インタビュー!
さくら:競輪選手を目指したきっかけはなんでしたか?
眞原選手:高校までは陸上一本でやってきました。円盤投げでインターハイ2位になったんですよ。自転車の経験は0で、競輪も知らなかった。でも高校3年生の時、1年に大島さんって選手(引退)の息子が入学してきて、自転車に乗ってきてたんだよね。そこで初めて競輪というものを知ったんです。こんな自転車に乗ってるんだ、とか本当にそういうところからだったけど。8月にインターハイが終わって、円盤投げは国体がなかった。進学して大学でも円盤投げを続けるって選択肢もあったけど、僕は体が小さかったから、クラスがあがると厳しいんじゃないか…って思いもありました。そこに競輪選手って選択肢が増えた。普通に就職も考えたけど、当時は競輪選手は高収入をうたってた時代だったからね(笑)。それで選手を目指しました。
さくら:そこから自転車に乗り始めたんですか?
眞原選手:いや、試験は適正で受けたから、まだ自転車には乗ってないんだ。当時の試験項目は立ち幅跳び・100m走・1500m走だったかな?1500だけ専門外だったからちょっと大変だったね。だから陸上部でやっていた普段のトレーニングをしてただけ(笑)。試験に受かった後、適正合格者だけ1か月早く入学してそこから自転車の訓練が始まった。僕の年は4人だったんだけど、経験者たちと一緒に学ぶために自転車初心者の僕らに教官がマンツーマンでついて指導してくれた。
さくら:マンツーマンなんていいですね。
眞原選手:いや大変だったよ(笑)。教官がつきっきりでみっちりだもん。それでもやっぱり経験者の人たちと一緒に走るのは簡単じゃなかった。経験の差を感じたよね。
さくら:実際選手になってからはどうでしたか?
眞原選手:デビュー戦はね、決勝に乗れたんだ。でもそのあと、3,4場所後に落車しちゃって…。ただ幸い怪我は軽くて助かった。ずっとスポーツをやってきて丈夫な体を作ってきてたからだと思う。
さくら:この26年は早かったですか?
眞原選手:そりゃ、過ぎてみればみんな早かったって言うんじゃないかな?(笑)。でも楽ではなかったよ。調子の良しあしや自分の環境で気持ちも変化していく部分もあるし、気持ちがなくなっちゃったら怖くて走れなくなっちゃうと思うから。
さくら:気持ちが切れてしまうこともありましたか?
眞原選手:ないとは言えないよね。思い通りに走れなくて面白くなくなったこともある。落車は嫌だし、でもお金は欲しいし、家族がいるし…って色んなことを考えてしまうことは時々あったよ。
さくら:そんな時、どんな風に自分を鼓舞してきたんですか?
眞原選手:やっぱり、プライドかな。スポーツでずっとやってきたわけだから。あとは負けたくないって気持ちだね。負けるとやっぱり悔しいし、だからまた頑張るぞと思ってここまできたんだと思いますね。
さくら:スポーツマンとしてのプライド…かっこいいです!
いいこと悪いことに関わらず、日々の様々なところで感情は揺れるもの。その中で「競輪選手」としてのモチベーションを保てる理由は「プライド」と答えてくれた眞原選手。とてもシンプルな答えのようで、その裏には何十年も向き合い続けているスポーツへの熱い思いを感じました。
眞原選手の応援、よろしくお願いします!
(インタビュー日 2019年7月24日)
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 1996/09/15 門司競輪
200勝 2005/07/15 平塚競輪
岡崎 徹(オカザキ トオル)
級班 | A級3班 | 生年月日 | 1972/03/02(53歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2023/07/01 |
身長 | 175.0cm | 体重 | 72.0kg |
胸囲 | - | 太股 | - |
背筋力 | - | 肺活量 | - |
脚質 | 追 | 今期得点 | 66.68 |
岡崎 徹 選手 インタビュー!
さくら:選手を目指したきっかけを教えてください。
岡崎選手:元々父が愛輪会(自転車の愛好会)をやっていたので、競輪の存在は昔から知っていたんですよ。でも特に参加することもなかったんですけど、高校3年生の時に進路を考えた時にサラリーマンになって毎日通勤するのやだなあって思って(笑)。それで競輪選手目指してみようって思いました。家族に相談したら20歳までは挑戦していいよと言ってもらえて、今に至ります。
さくら:スポーツはそれまでされていたのでしょうか?
岡崎選手:一応部活動でテニスはやってたんですけどね。高校3年生の夏から選手になるための練習を初めて、受かるまで本当にしんどかった。早朝から街道に行って乗り込んで、バンクでも練習してって生活で、早起きしなきゃって思い過ぎて、夜8時半に寝て、夜の10時くらいに起きちゃったときに「寝坊した!」って焦ったこともありました(笑)。
さくら:かなり精神的にも追い込まれていたんですかね。
岡崎選手:今思うとそんなことあるわけないんですけど、当時は「とにかく学校に受かったら、プロになったらこの苦しい練習の生活が終わる。楽になれる」って思いながら頑張ってましたね。
さくら:実際学校時代、選手になってからはどうでしたか?
岡崎選手:あ~これも今になって思うけど、学校時代が一番プレッシャーもなく練習に打ち込めていた気がします。プロになったら勝ち負けで賞金がかわっていくから気楽ではないし。だから今度デビューする若手にも卒業して7月までって一番いい時期だからしっかり頑張れって言っています。選手になってからも楽しかったかなあ。僕の学校の成績はそんなに良い方じゃなかったけど2年でトントンとS級まで上がれて。でも先行だけでS級までいったから経験がすくなくて、そこから位置をとることを覚えたり、自在な走りをできるようにならないと戦えないと思って少し心が折れましたね。だからこれも若い子に伝えたいけど、いっぱい経験を積んで上に上がった方がいいと思います。じゃないとずっと上にいられないですからね。
さくら:そうやってアドバイスしてもらえる環境ってありがたいですよね。
岡崎選手:実は僕自身もね、15年くらい前にすごく調子を落としてしまった時期があって。そういう時にこの早朝練習グループに誘ってもらったんですよ。それがなかったら今こうして選手を続けられなかったと思います。平塚には三ツ井さんや遠澤さんのようなすごい先輩がいるし、最低50歳まで選手を続けるっていうのがデビューの頃から決めてることだから、今も背中を追い続けています。
さくら:年齢を重ねても選手を続けるためにしていることはありますか?
岡崎選手:そういえば去年くらいからウォーキングを始めたんですよ。
さくら:競輪選手は歩くのが苦手という印象ですが…。
岡崎選手:僕も前は自転車取りに行くのすらしんどいくらい歩くの嫌だったんですよ。でもある時バンクが使えないときになんとなく歩いてみようと思って。最初はしんどかったけど、慣れてくるとなかなか良くてね。そこからこの1年くらいは、自転車に乗らない日は7キロくらい歩くようにして、日々の歩数も1万歩目指してますよ。
さくら:すごいですね!
プロフィール写真は少し強面に見えるかもしれませんが、とても優しい口調で丁寧にお話してくださった岡崎選手。
競輪はラインの競走ですが、日々の練習もともに刺激し合える先輩後輩の存在が大切なんだと伝えてくれました。
岡崎選手の応援よろしくお願いいたします!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2000/09/06 西武園競輪
200勝 2014/02/05 小田原競輪
柴田 健(シバタ ケン)
級班 | A級3班 | 生年月日 | 1970/07/25(54歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2024/07/01 |
身長 | 173.0cm | 体重 | 80.0kg |
胸囲 | 106.0cm | 太股 | 60.0cm |
背筋力 | 170.0kg | 肺活量 | - |
脚質 | 追 | 今期得点 | 69.83 |
柴田 健 選手 インタビュー!
さくら:競輪選手を目指したきっかけを教えてください。
柴田選手:父親が競輪好きで、今思えばある意味洗脳だったね(笑)お前は競輪選手になれって。
さくら:そうだったんですね。22歳でデビューということでしたが、順調にいったと感じますか?
柴田選手:うーん、正直にいうと最初は結構なめてたんだ。でも学校も6回目か7回目でやっと合格したし、順調ではなかったかも。それでも諦めたくないって思って続けて、学校に受かって、それでここまできたって感じかな。
さくら:そうだったんですね。そうやって諦めない気持ちは、選手になっても大切なことですよね。
柴田選手:そうかもしれないね、でも何か大したことをしてきたわけじゃなくて、毎日無理しすぎないでコツコツ続けてきただけなんだけどね。あと、これが良いのかは分からないけど、怪我だけはしないように気を付けてきた。だからこれまで大きな怪我もないんだ。年齢も重ねてきたし、怪我したら続けたくても続けられなくなっちゃうからね。
さくら:競輪ファンのお父さんも柴田選手が選手になってくれて嬉しかったでしょうね。
柴田選手:そうだね、なったら喜んでくれた。でもそれ以上に心配だったんじゃないかな、なかなか合格できなかったからね(笑)
さくら:選手になってお休みの日は何されていますか?
柴田選手:もうだいぶ減っちゃったけど、よくゲームセンターに行ってたよ。好きなゲームがあって、2002年くらいからそれをやり始めて、今でもやってるよ。
さくら:2002年からってことは16年も!一途ですね!
柴田選手:そうだね、めちゃめちゃお金をつぎ込むほどのめり込んでるとかじゃないんだけど、好きでゲームもコツコツ続けていたらこんなに経っていたね。
さくら:柴田選手とお話していると、穏やかで優しい雰囲気が伝わってきます。レースの時は怒ったりすることはあるんですか?
柴田選手:怒ること…ないなあ。競走中もあんまり緊張したりピリピリもしないし、負けた時もまた次頑張ろうって思うだけだよ。あ、ただ失格したときに「目だけは笑ってない」って後輩に言われたことはあるね。
さくら:それ逆に怖いやつですね(笑)
柴田選手:かもしれないね(笑)
さくら:柴田選手はラインの番手や3番手をまわるスタイルですが、ズバリ聞きますが。先行ラインの番手と捲りの番手、どっちがいいですか?
柴田選手:うーん、俺は…、4コーナーで先頭にいるラインの番手がいいかな。
さくら:それって…。
柴田選手:一番欲深い意見かもね(笑)でも競輪はラインの競走だからラインで決まるのが一番いいと思っているよ。だから後輩でも別に早めに仕掛けて欲しいとは思わないし、むしろ先行するなら逃げ切ってほしいと思う。どんな戦法でも自分の得意な競走をしてくれればいいし、それが捲りならそれで全然構わないよ。ただやっぱりあまりに早すぎたり、遅すぎたりするとラインで決めることは難しいからね。逃げでも捲りでもラインを組んだ意味があるように、走りたいと思っているよ。だから4コーナーで先頭にいるラインなんだ。
さくら:いくつまで競輪選手を続けたいと考えたことはありますか?
柴田選手:やれるだけ続けたいね。競輪は苦しいけど、楽しいよ。それは日々の練習も含めて。もう今更他の仕事はできないね。だからこれからもコツコツと一途に続けていくよ!
優しい口調でお話してくださった柴田選手。ご自身では日々をコツコツ続けてきただけと言っても、それは誰にでもできることではないと思います。柔らかな雰囲気の中にしっかりと芯があるように感じました。競輪に一途で努力の人なのだと、改めてその人柄に魅力を感じます。
ラインを大切に一途な柴田選手の応援、どうぞよろしくお願いします!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2000/03/03 大宮競輪
200勝 2006/05/29 京王閣競輪
300勝 2013/09/22 いわき平競輪
梶山 大輔(カジヤマ ダイスケ)
級班 | A級3班 | 生年月日 | 1974/10/10(50歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2020/07/01 |
身長 | 173.0cm | 体重 | 65.0kg |
胸囲 | 90.0cm | 太股 | 57.0cm |
背筋力 | 120.0kg | 肺活量 | 5000cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 70.41 |
梶山 大輔 選手 インタビュー!
さくら:7月から平塚競輪の開催指導員になられたそうですね。
梶山選手:そうなんです。まだ1回しか開催はないですが、その時は失格落車なく無事に終わりました。
さくら:地元の競輪場を走れなくなるのは寂しくないですか?
梶山選手:そうですね、寂しい部分はあるけど…。開催指導員になりたいと思って、2月が最後の平塚斡旋だったんですけど、その時はやっぱり気持ちが入り過ぎちゃって、頑張り過ぎて2日目の夜にしんどくなっちゃいました(笑)それでも決勝まで勝ち上がって、決勝も3着でよかったですね。
さくら:競輪選手を目指した理由はなんですか?
梶山選手:元々父親が息子を競輪選手にしたかったらしく、小さい頃からよく競輪場には来ていました。10歳年上の兄が先に選手になって、そして僕も。選手になりたいって思ったというよりは、「あぁ、選手になるんだなぁ」という感じでしたね。
さくら:デビューして23年。苦しいことも多かったとおもいますが。
梶山選手:いや23年本当にあっという間で。すごく楽しかったなあ。大きな怪我もないし、僕苦しいことはすぐ忘れちゃうから…本当に楽しくてあっという間でした。
さくら:長く選手を続けると後輩もたくさん出てきたと思いますが、アドバイスしたりしますか?
梶山選手:僕ね、何でもいいんです。フレームだって20何年前に師匠に見てもらって以来ほぼ変えてないくらいだし(笑)。だから特に言うことはないけど、唯一、勇星(川越勇星・111期)にだけ、青森で一緒になった時に「2周つっぱれ!」って厳しく言ったかな。でも本当にそれくらい。
さくら:そうなんですね。結果はワンツー決まりました?
梶山選手:いや僕の方が脚いっぱいになっちゃって(笑)。間に入られちゃって1着3着だったよ。
(ここで近くにいた柴田健選手がいらっしゃって…)
柴田健選手:梶山さんはね、すごく素質のある人なんだよ。選手の素質は平塚イチだからね。
梶山選手:そうそう昔血液の検査をしてもらった時に「ある意味血液は室伏広治より上」って言われたからね(笑)
さくら:すごいじゃないですか!(笑)
梶山選手:いやいや恥ずかしかったよ~。血液が良くてもね…昔から緊張しちゃって。開催中の3泊4日ご飯全然食べられなかったもんね。今でこそ抜き方を覚えてご飯も食べられるようになって。それでちょっと太っちゃったけど。
さくら:これからの目標や何歳まで選手をやりたいなど決めていることはありますか?
梶山選手:最低4年。下の息子が今高校1年生だから。子どもができた時から、この子達が二十歳になるまで頑張るって決めて今までやってきたからね。
さくら:息子さんたちの存在が梶山選手のパワーになっているんですね。
梶山選手:これ見て(とご自身の自転車を指す。フレームの両側に二人の息子さんの名前が)。いつも競走の時「見ててくれよ~。父ちゃん走るからな~」って思いながら走るんだ。子離れできてないって言われるかもしれないけど、本当に子どもたちのことが大好きでね。前に人づてに、俺が競走に行って怪我しないかとか息子が心配してくれてたことや「父ちゃんのこと世界一すきだ」って言ってくれてたのを知って、本当に嬉しかったんだ。
さくら:素敵ですね。もし、息子さんが競輪選手になりたいって言ったらどうしますか。
梶山選手:それはどうしよう。俺どうするかなあ。兄のレースも転ばないかとか心配で見るのしんどかったくらいだから、息子のレースなんて、考えられないなあ。もし落車とかしちゃったらと思うと…俺が耐えられないんじゃないかなあ。
さくら:父ちゃん自分の競走どころじゃなくなっちゃいますね。
梶山選手:そうだね、だからそんな日が来るまで考えないようにして、自分の競走を頑張るよ!血液は室伏広治より上だからね!
開催指導員とはざっくりいうと出場選手と審判の間に立ち、開催が円滑に進むよう気を配る役回りと聞いています。自身も選手でありながら時に選手を説得する立場になるなど、なかなか誰でもできる役職ではないと思いますが、梶山選手の物腰のやわらかさ、その人柄に触れて、きっと人から愛される方なのだろうと感じました。
でも穏やかな雰囲気の中にも、家族や仲間への熱い強い気持ちが垣間見えました。その力が梶原選手の原動力となり、23年という年月、脚を回し続けたのだと思います。
子煩悩で素敵な梶原選手、ぜひバンクで応援しましょう!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2007/04/27 いわき平競輪
志村 正洋(シムラ マサヒロ)
級班 | A級3班 | 生年月日 | 1974/10/19(50歳) |
---|---|---|---|
血液型 | AB型 | 級班所属日 | 2019/01/01 |
身長 | 163.0cm | 体重 | 70.0kg |
胸囲 | 98.0cm | 太股 | 56.0cm |
背筋力 | 150.0kg | 肺活量 | 4000cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 64.00 |
志村 正洋 選手 インタビュー!
さくら:競輪選手を目指したきっかけを教えてください。
志村選手:小学生のときから自転車をいじるのが大好きでした。自分で改造してみたり。ママチャリの泥除け外しで軽くしたりとか、些細な事だけどそんなことをずっとしてました。自分でいじった自転車に乗って学校終わってからいろんなところに遊びに行ったり、とにかく好きだったんですよね。そこにある日家の修理で大工さんが家に来て、その大工さんが本格的な自転車に乗っていて、それを見てかっこいいなあと思って、そこから自転車を本格的に始めていくようになりました。中学生の頃はアマチュアロードの大会に出ていました。
さくら:高校時代は陸上部でしたよね。
志村選手:高校に自転車競技部がなくて陸上にはいりました。でも高校生のときから愛好会に入って弟子入りしていたんですよ。
さくら:高校生の時に?!早いですね。
志村選手:もう競輪選手になろうとしか思っていなかったですね(笑)。とにかく自転車に乗るのが好きでした。
さくら:子供のころから自転車がすきで競輪選手を目指すって素敵ですよね。ご家族の反応はどうでしたか?
志村選手:ずっと応援してくれていましたよ。デビューして初めての賞金は、母に全部あげたんじゃなかったかな?
さくら:実際競輪選手になって好きなことでお金を稼ぐというのはどうでしたか?
志村選手:楽しかったですよ。稼いだお金は自転車に使えるし、何より大好きな自転車に乗れる。
さくら:逆に辛かったことはありますか?
志村選手:僕は自転車に乗るのが好きで競輪選手になったから、勝負の世界で上を目指すとか、強くなりたいとかって気持ちが足りなかったのかもしれないです。そういうギャップを感じながらも戦っていかなきゃいけない状況に最初は苦労しました。あとはやっぱりケガも辛かったです。
さくら:辛いときをどうやって乗り越えてきましたか?
志村選手:やっぱり仲間の存在ですかね。開催終わりに打ち上げ行ってみんなでワイワイしたり、たまに練習合宿に行ったり、一人だとどうしても自己管理が甘くなっちゃうから、切磋琢磨してくれる仲間がいてくれたことが大きかったと思います。あとは気分転換に練習も兼ねて小田原や江の島まで自転車で行ってリフレッシュしてます。
さくら:これからの目標はありますか?
志村選手:実は最近もっと他にやることがあるんじゃないか?って思うことがあるんです。30年自転車に乗ってきてようやく飽きてきたのかも(笑)。
さくら:え!?ということは…
志村選手:でも僕には自転車しかないから。子供の頃から自転車しか乗ってきてないからね。だからケガなく1日でも長く選手を続けることが、今の目標です。
好きなことを仕事にするということは誰しも憧れることだと思います。でもいざ「好き」を仕事にしてみると、好きなままであり続けることは簡単ではないのだとお話を聞いていて感じました。しかも勝負の世界ならなおさら!それでも30年自転車一筋に生きてきた志村選手。これからもぜひ応援してください!
インタビュー日:2019年9月30日
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2002/02/20 西武園競輪
200勝 2015/11/04 静岡競輪
宮下 潤(ミヤシタ ジユン)
級班 | A級3班 | 生年月日 | 1978/04/28(46歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2014/01/01 |
身長 | 177.9cm | 体重 | 71.5kg |
胸囲 | 91.5cm | 太股 | 54.0cm |
背筋力 | 172.0kg | 肺活量 | 5050cc |
脚質 | 追 | 今期得点 | 66.91 |
宮下 潤選手 インタビュー!
さくら:競輪選手を目指したきっかけを教えてください。
宮下選手:元々は僕の6個上の兄が自転車が好きだったんですよ。僕はずっと陸上をやっていて、競輪も知らなければ自転車競技のことも知らなかったんです。でも高3の進路を決めるタイミングで兄から競輪選手を勧められて…。「やってみっかな?」って感じで目指し始めました。
さくら:実際選手を目指して自転車に乗ってみた感想は?
宮下選手:甘くないなあ!って思いましたね。結局3年かかっちゃいました。でも大学進学した同級生たちが就職するのと同じくらいまでに選手になれればいいと思っていたので、ちょうどそのタイミングで競輪学校を卒業して選手になれたので、よかったです。
さくら:選手としてデビューしたときはどうでしたか?
宮下選手:デビュー戦はめちゃめちゃ緊張しました。どこがゴールだったかもわかっていないくらい。とにかくがむしゃらに踏んで、ゴールした後他の選手と少し接触したんです。そのときハッと我に返って、「あ、俺ゴールしてたんだ…」って思いました。気づいたらゴールしていて、9着でした。
さくら:デビューから今までの選手生活は振り返るとどうですか?
宮下選手:苦しかったですね(笑)。2001年デビューなので19年目に入るのかな。早かったと思います。デビューから10年くらいは自力で走って、追い込みに転向して9年くらいなんですけど、追い込みはセンスも大事で、自分のセンスのなさを痛感します。追い込みの練習すると今度はタテの脚がなくなっちゃうし、まだまだ試行錯誤の日々ですね。平塚は来ればだれかいるから、そういう環境で練習できるのはありがたいですね。あとは若い選手がもっと増えてくるといいんだけど。
さくら:これからの選手としての目標などを教えてください。
宮下選手:そうですね、厳しい世界なので正直、選手生命は長くはないかもしれないなと思っています。僕が選手になったころは競輪選手は4000人くらいいて、今は2000人くらいなわけですから、下のクラスでも選手のレベルは上がっているわけなので。でも練習は大変だけど、自由な時間があって、その時間を家族や子供たちと過ごしたりできるってすごく僕にとっては幸せなことなので、できるだけ長く、選手を続けていきたいですね。
さくら:お子さんは宮下選手のレースを見ますか?
宮下選手:見てくれますね。「パパまた負けちゃったね~」って言われちゃったりします(笑)。
さくら:一番厳しいファンかもしれませんね(笑)。
宮下選手:そうですね(笑)。「パパまた勝ったね!」って言ってもらえるようにこれかも頑張らないとですね!
競輪選手という職業を天職という人は少なくありません。自由な時間がたくさんあるからと。でもその自由は選手であり続けなければなくなってしまうものです。天職と言い続ける裏には、努力と試行錯誤の日々があるのだと、宮下選手のお話を聞いて思いました。
宮下選手の応援よろしくお願いいたします!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2008/11/12 豊橋競輪
吉川 誠(ヨシカワ マコト)
級班 | A級3班 | 生年月日 | 1981/07/05(43歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2024/01/01 |
身長 | 172.0cm | 体重 | 85.0kg |
胸囲 | 101.0cm | 太股 | 70.0cm |
背筋力 | 170.0kg | 肺活量 | 5250cc |
脚質 | 両 | 今期得点 | 67.40 |
渡辺 馨(ワタナベ カオル)
級班 | A級3班 | 生年月日 | 1984/04/02(40歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2017/01/01 |
身長 | 178.4cm | 体重 | 75.1kg |
胸囲 | 96.0cm | 太股 | 60.0cm |
背筋力 | 180.0kg | 肺活量 | 4960cc |
脚質 | 両 | 今期得点 | 67.00 |
國井 裕樹(クニイ ユウキ)
級班 | A級3班 | 生年月日 | 1984/04/27(40歳) |
---|---|---|---|
血液型 | AB型 | 級班所属日 | 2023/01/01 |
身長 | 171.0cm | 体重 | 77.3kg |
胸囲 | 96.5cm | 太股 | 61.5cm |
背筋力 | 159.0kg | 肺活量 | 4740cc |
脚質 | 逃 | 今期得点 | 71.76 |
國井 裕樹 選手 インタビュー!
吉田:選手を目指したきっかけを教えてください。
國井選手:自転車が趣味だったんですが、それでたまたま選手の練習見る機会があって、それからですね。
吉田:いつ頃から選手になりたいなというのはありますか?
國井選手:28歳で初めてバンクで走って、30歳手前位の時に競輪学校の入試で合格者の人数が増えて、このタイミングな自分の枠もあるのかなって思い始めていました。
吉田:最初は静岡の方でやっていたと聞いた事があるのですが?
國井選手:バンクに入るのはほとんど静岡で週1ぐらいで行っていました。平日は自分の家が神奈川だったので1人で街道練習やって一ました。
吉田:何回ぐらい競輪学校の試験を受けましたか?
國井選手:2回です。
吉田:結構早めに受かったそうですね。
國井選手:やり始めたのは遅いですけど(笑)
吉田:それでも、受かったっていうことは実力があったからですね。
でも、もう少し早く受験をやりたかったなと思いますか?
國井選手:それはすごい思いましたね!
早くにやって、凄い選手になっれたかっていうと、そうではないと思いますが同じぐらいの成績でも、年数続けられてきた方がやっぱ経験値とかも貯まり、そっちの方が同じ年齢の時より楽に競走を走れたのかなっていう気はしますね。
吉田:選手になる前は何か仕事ってやってました?
國井選手:肉屋さんで働いていました。大きい豚肉の塊から骨を取るっていう仕事をしていました。
吉田:お肉に携わる仕事をしてて、やはりお肉とかも好きっていう感じなんですか?
國井選手:父親もその仕事をしていて、お肉を食べる機会が多く普通ぐらいだとは思うんですけど、ずっと豚肉に触ってたおかげで豚肉のアレルギーになってしまい、今は牛、鶏だけ食べれて豚肉は食べれません。(笑)
吉田:選手になって、色々な練習とかを考えてやってると思うんですけど。今、練習を何か取り入れてる事とかはありますか?
國井選手:自分は街道で重いギアで、約400メーター位のモガキを1人でやってたんですが、本当にここ何日かでバンクに来る様になりました。
多分、街道でも複数人でやっていれば同じ感じだと思うんですけど、やはりバンクに行くと選手が何人かいるので先頭でモガク以外の番手なり3番手の追走技術を磨けるのが良いと思っています。やっぱり、捲りに行く時も上手に追走をして脚をためないといけませんですし、綺麗に回せたりとかのペダリングの意識して練習をやって少しでも楽に走れる様になりたいです。
吉田:今はさっき聞いた練習をしていて、お休みの時とかってどんな風に過ごしたりしますか。
國井選手:もうひたすら寝てます(笑)
吉田:趣味はないんですか?
國井選手:趣味が自転車だったんで自転車が仕事になったので、オフの日だからサイクリング行こうかとかそういうのもなくなっちゃいますよね。あとは趣味というか家にシンガプーラとノルウェージャンで、さきちゃんとそらちゃんという名前の2匹の猫を飼っているんですが、一緒にいるのが息抜きになっています。
4時50分に起床してバンク練習に4日連続で練習に来ているんですが、実は昨日と今日も朝練に来るか悩んだんですけど、3日目から猫達も4時50分に起きて餌を頂戴とアピールが凄くて起こしてもらって、そのまま練習に来ました。なので猫達に起こして貰ってる感じなので、もう家族みたいなもんですね(笑)
吉田:ちなみに選手をいくつ位までやりたいと思いますか?
國井選手:可能な限りやりたいと思います。競輪学校の時に作文じゃないですけど、目標を書けというのがあって、GI優勝とかみんなが書いてある中、自分が60歳でも現役でやりたいと書きました。60歳までやるのは難しいかもしれないけど、現役選手で60代の選手もいるんで、相当険しい道のりだと思いますけど、自転車が好きでそれで生活が出来るのは幸せだからやっていきたいです。
吉田:好きな事が仕事に変わって、自転車が嫌いって思うことはないです?
國井選手:練習してれば楽しいし、やっぱりレース行けばそういうプレッシャーもあるんで、行きたくないなって思うことはありますね。でも、自転車が好きなので嫌いになることは無いです。なので生まれ変わっても20歳から競輪選手をやりたいです(笑)
吉田:デビュー戦の思い出とかってありますか。
國井選手:パニックパニックです。今も変わらずレースは下手なんですけど、頭の中が真っ白になっていました。レース形態とかラインがどうのこうのとかいう練習を全然してこなかったんで、何もわかんなかったです。
今は色々な経験をしてきて緊張したりする事が減りましたが、レースがわちゃわちゃして大敗する時がポロポロあります。
吉田:今までの中で1番印象が残ってるレースはありますか?
國井選手:はい、まだ、1回しか優勝してなくて番手から差しただけなんですけど、それが印象に残ってます。たまに決勝乗れるんですが新人も強いし優勝するのも難しいですね。
吉田:ファンの方に何かアピールしたい事はありますか?
國井選手:下手なレースが多いんですけど、必ず何処かで仕掛けるっていうの心掛けて、臨機応変に走りますので応援お願いします!
インタビューをしていて、本当に自転車が好きなんだと感じられた國井選手、自分自身と家族(2匹の猫)の未来のために競輪に全力を尽くしています。國井選手は夢や目標に向かって日々頑張っています。自分の限界を挑戦し、絶えず成長していると思います。その姿勢は本当に素晴らしく、将来がとても楽しみです。そんな國井選手を一緒に競輪場で応援をしましょう!
インタビュアー : 吉田輪太郎
尾崎 睦(オザキ ムツミ)
級班 | L級1班 | 生年月日 | 1985/04/10(39歳) |
---|---|---|---|
血液型 | A型 | 級班所属日 | 2017/07/01 |
身長 | 172.0cm | 体重 | 65.2kg |
胸囲 | - | 太股 | 62.0cm |
背筋力 | 124.0kg | 肺活量 | 4000cc |
脚質 | 両 | 今期得点 | 55.52 |
尾崎 睦 選手 インタビュー!
さくら:ビーチバレーの世界でも活躍されていた中、どんなきっかけでガールズケイリンを目指すことにしたのでしょうか。
尾崎選手:ビーチバレーを続けるならオリンピックを目指してと思っていました。でもそれができるのかとか色々考えたタイミングで金田さん(金田洋世・106期・引退)をきっかけにガールズケイリンを知って、スポーツでお金を稼いで生計を立てていく。こんな選択肢もあるんだなと思い、またそれを私ができるのかしっかり考えて、目指しました。
さくら:初めて自転車に乗った時はどうでしたか?
尾崎選手:最初はペダルに足をはめることもできませんでした。でもタイムで自分の力が明確に数値としてあらわれることが楽しかったし、練習や努力が全て自分の責任として返ってくるところが自分に合っていたのかもしれません。
さくら:ビーチバレーの選手時代大きな怪我もあったと聞きましたが、不安はなかったですか?
尾崎選手:膝の怪我だったんですけど、トレーナーさんとしっかり治したので不安はなかったです。今も怪我した膝が痛むということはないですね。怪我をした直後は不安や焦りもあって辛い時期もあったけど、当時必ずまたビーチバレーに戻るって決めてたので。でもそれは本当に周りのおかげでした。待っていてくれる人がいる、帰る場所があると思えたから、だからしっかりと治そうと思って、焦らずしっかりリハビリしました。
さくら:周囲の人の支えが尾崎選手の強い気持ちをつくったんですね。
尾崎選手:そうですね。本当に周りの人に感謝しています。それはガールズケイリン選手になった今もそうで、平塚では男子選手と一緒に練習させてもらっていて、選手歴何十年の大先輩からもアドバイスをもらえたりします。そういうことは決して当たり前のことではないと思うので。本当にこの環境に感謝ですよね。
さくら:デビューしてご自身で想像していた選手になれていますか?
尾崎選手:どうだろう(笑)。活躍するイメージを持ってデビューしたけど、でももっと強くなりたいです。
さくら:尾崎選手のレースを見ていると「必ず仕掛けるぞ!」って思いが伝わってくるように思います。そういう走りを意識されていますか?
尾崎選手:そうですね、思い切りの良さは大切にしています。レースの後に「なんでもっとああしなかったんだろう」って思いたくないんですよ。力を出し切って悔しがるのはまだいいんですけど、力を出し切らずに負けると前に進めない気がして…。
さくら:実は意外と不器用なところありますか?
尾崎選手:ありますあります。超不器用ですよ。もっと器用に走れたらいいんですけど…。どんな展開でも勝てるようなスキのない選手になりたいですね。
さくら:スキがないってすごいです。でも尾崎選手ならきっと実現させるのでしょうね。
尾崎選手:自分の想像できている世界には行けると思っていて。それが目標になるし、目標が明確になるから今やるべきことがわかるし、今やっていることに意味を持てるんだと思います。しっかりと未来を見つめて、実現させたいですね!
ガールズケイリン界のトップで活躍する尾崎選手ですが、その走りの裏には苦しい時も辛い時も挫けずに、見えている未来に向かって続けてきた努力があるのだと改めて知ることができました。だからこそその走りに多くの人が魅了されるのだと思います。
そんな尾崎選手をぜひ、競輪場で応援しましょう!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2017/05/31 宇都宮競輪
佐藤 亜貴子(サトウ アキコ)
級班 | L級1班 | 生年月日 | 1982/08/10(42歳) |
---|---|---|---|
血液型 | O型 | 級班所属日 | 2017/07/01 |
身長 | 168.4cm | 体重 | 62.3kg |
胸囲 | - | 太股 | 59.5cm |
背筋力 | 119.0kg | 肺活量 | 3900cc |
脚質 | 両 | 今期得点 | 46.58 |
佐藤 亜貴子 選手 インタビュー!
さくら:佐藤選手は選手になる前はジムで働いてたんですよね?
佐藤選手:そうです、スポーツジムの受付をやっていました。ジムに来るお客さんとの接客の中で競輪に女子があるのを知って、そこから目指そうかな?と思い、今に至ります。
さくら:それまでスポーツ経験はあったのでしょうか?
佐藤選手:高校まではバスケをやってたんですが、社会人になってからは趣味で色々やってました。元々スポーツが好きだったんですけど、周りが結婚したり子どもができたりしてきて、一人でやれるスポーツはないかなって考えたんです。それで、ゴルフ、自転車、格闘技のキックボクシングをやろうと思って。まずゴルフを始めたんですが、しばらくやってセンスがないな、と思ってやめました。次に自転車を始めて、そこでさっき話したガールズケイリンの存在を知って、働いてるジムのトレーナーさんに自転車に必要な筋肉はどこか?とか教えてもらって練習して目指しました。1回目で合格して、そこからはもう競輪一筋なので、結局キックボクシングはやらずでしたね(笑)
さくら:趣味で体を動かしていたときとプロの選手になってからはかなり変化はあったと思いますが、思っていたのと違う!なんて気持ちはなかったですか?
佐藤選手:趣味でやっていた頃は、働いて休みの日だけ体を動かすって感じでしたけど、選手になってからは仕事が体を動かすことになって、毎日練習して、逆に休みの日は全くなにもしないので、そこは全然違いますけど、でも苦ではないし、私に合ってるんだと思います。
さくら:逆に趣味として他のスポーツやりたいなと思ったりすることはありますか?
佐藤選手:スキーはちょっとやりたいなと思いましたね。滑る中で体幹も鍛えられれば競輪にもつながるんじゃないかって…。
さくら:やっぱり競輪につながっていくんですね(笑)
佐藤選手:本当ですね(笑)いろんなスポーツ経験してきましたけど、もうデビューしてからはずっと競輪一筋で、何をしていても競輪につながっていきます。休みの日も何もしないけど家のテレビは基本ずっと競輪のチャンネルがついていて、家にいる時はずっと見てますね。
さくら:研究熱心!自分のレース以外も見ますか?
佐藤選手:見ますね。レースを見るのも好きで男女問わず見ます。男子選手のレースでも、自力選手の動きを見て体の使い方とか勉強になることがたくさんあるので。
さくら:やはり自力でのレースをしていきたいですか?
佐藤選手:そうですね、若い子も入ってレベルもどんどん上がってきているので簡単ではないですけど、やっぱり自分で動いていきたいですね。負けず嫌いだし、動いて戦いたいですね。少しでも本命に対抗して穴をあけたいです(笑)
さくら:いくつまで選手を続けたいなどは考えたことはありますか?
佐藤選手:これまでの女子選手の前例が高松さん(高松美代子元選手・102期 54歳で引退)なので、50代まで続けられたらいいですね。
お話すると穏やかで落ち着いた雰囲気の佐藤選手ですが、実は負けず嫌いなこと、そしてデビューしてからずっと競輪一筋にひたむきに努力されてきたのだと知りました。また、趣味で始めた自転車がガールズケイリン選手という仕事に変わっても、その根底にスポーツを愛する気持ちが変わらずにあるというのが佐藤選手の強みになっているのかなと思いました。
夢を叶えてなお努力を続ける佐藤選手の応援、是非よろしくお願いします!
インタビュアー:木三原さくら