級班 | A級1班 |
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生年月日 | 1978年12月16日 |
血液型 | O型 |
星座 | 射手座 |
身長 | 175.0cm |
体重 | 85.0kg |
胸囲 | 105.0cm |
太股 | 64.0cm |
背筋力 | 230.0kg |
肺活量 | 3700cc |
脚質 | 追 |
さくら:旭選手といえば青色。青色が好きというイメージがありますが、いつからお好きなんですか?
旭選手:いやもうずっとですね。小さい頃から中日ドラゴンズファンで、そこからかな。郭 源治って選手がすきで、背番号が33番で、だから3って数字もすきなんです。
さくら:そうだったんですね。自転車のフレームもずっと青色ですか?
旭選手:自分で作ったのは全部そうですね。人ので違う色に乗ったこともあるけど、やっぱり青が落ち着きますね。一番合わなかったのが赤で、なんだかダメだったね。
さくら:本当に青色が好きなんですね。
旭選手:持ち物が青色ばかりで、こないだ初めて気持ち悪いかな?と思ったけどね(笑)
さくら:いいと思います(笑)
話は変わりますが、昨年の落車骨折以来、まだ戻り切ってないように感じますが初めての大きな怪我だったんですよね?
旭選手:そうですね、(骨折箇所は)鎖骨、肋骨3本、あと肩甲骨だったんですが、今まで落車はあっても骨折は初めてでした。鎖骨や肋骨なんかは多くの選手が折っているところなので「あーようやく1人前になったな」なんて思えたんですけど、肩甲骨はね、なかなか折っている人も少ないから…。
さくら:大変だったんですね。
旭選手:兄貴(旭健太郎選手)が骨折しているのを見てきたりしたので、やっぱり大変ですよね。
さくら:選手を目指したのはお兄さんの影響ですか?
旭選手:そうですね、僕が中学を卒業するとき兄貴が競輪学校を卒業してきて、卒業レースを見ていいなと思って選手を目指しました。
さくら:それまでのスポーツ経験は?
旭選手:中学高校と陸上をやっていました。小学校までは野球をやっていて本当は野球選手になりたかったんだけど、父親に反対されて。
さくら:お父さんは何で反対されたんですか?
旭選手:実は…勉強がね(笑)勉強できないのに野球選手になれるわけないって言われて。
さくら:えええ!そんな風には見えないですけど(笑)
旭選手:よく言われるよ(笑)できそうに見せるのが上手なんでしょうね。まあ何かしらプロのスポーツ選手になるって思って生きてきたから勉強をやらなかったってだけだけどね。ということにしておいて(笑)。でも今でも生まれ変わったら野球選手になりたいと思いますね。
さくら:そうなんですね。勉強してこなかったということで競輪学校の受験も苦労されたんですか?
旭選手:そうですね。高校卒業後に塾に行ったりして勉強するようになって、あと緊張症なところもあって6回目で合格しました。5回目の後、入学が1年に1回になったから、しんどかったけど、受かってよかったです。
さくら:デビューして18年目ですが、あっという間でしたか?
旭選手:あっという間でしたね。あっという間すぎて後悔してますよ。もっとあれやっとけばよかった。これしとけばよかったって思うことがあります。だから若い子にはもっと色々やった方がいいぞって伝えてます。色んな練習をしている人がいるし、強い選手はみんな研究熱心ですからね。
さくら:旭選手はどうやって研究してるんですか?
旭選手:周りに聞いたり、後はレースに行った時のお風呂場で強い選手の会話にこっそり聞き耳立てたりしてますよ(笑)でも色んな練習方法があるし、それぞれだから難しいよね。調子の悪い時に色々試し過ぎても、しっくりこなくて、また違うこと試して…って迷宮入りしちゃうんだよね。
さくら:年齢や調子に合わせての練習方法や乗り方って難しいんでしょうね。いくつまで選手を続けたいなど、今後の目標はありますか?
旭選手:50歳まではやりたいですね。あとやっぱりS級戦が楽しかったから、S級に戻りたい。今の状態ではたとえS級に戻っても通用しないから、しっかり調子を戻して、S級戦で戦えるようにしたいですね。
一つ一つの質問に丁寧に答えてくださる中で、今が旭選手にとって苦しい時期なのかなと感じました。怪我や歳を重ねることは選手にとって避けられないことで、競輪はそんな選手の体がエンジンとなり戦われている厳しい世界なのだと改めて感じました。もがき苦しみながらも再びS級の舞台を 目指して前を向く旭選手に、ぜひバンクで声援を送りましょう!
インタビュアー:木三原さくら
節目勝数達成
100勝 2005/03/03 玉野競輪
200勝 2011/06/27 青森競輪